鰻は買うものではなかった──土用の丑の日に思い出す川の記憶

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土用の丑の日が近づくと、CS放送では決まって鰻の蒲焼を紹介する通販番組が流れ始める。

しかも、一日に何度も同じ番組が繰り返される。「厳選した国産鰻」「ふっくら香ばしい蒲焼」「暑い夏こそスタミナを」。画面いっぱいに照り輝く蒲焼が映し出されるたび、季節の風物詩なのだと実感させられる。

もちろん、それを楽しみにしている人も多いのだろう。

しかし私は、その宣伝文句を聞くたびに少しだけ違和感を覚える。

「高温で食欲が落ちるこの時期だからこそ、精のつく鰻を食べましょう。」

理屈としては分かる。けれど、本来食欲が落ちるほど暑い季節に、脂の乗った鰻を積極的に食べようという発想は、どこか企業の販売戦略が先に立っているようにも感じてしまう。

そんなことを考えるのは、私の育った環境が少し特殊だったからかもしれない。

私の実家では、鰻も鮎も店で買うものではなかった。

山から流れてくる清流には季節になれば鰻や鮎が姿を見せる。釣りをしたり、網を張ったり、罠を仕掛けたりして、自分たちで捕まえるのが当たり前だった。

夏のごちそうとは、スーパーの特売でも百貨店の高級品でもない。

その年の川が分けてくれる恵みだったのである。

もっとも、天然物だから何でも美味しいというわけではない。

中には驚くほど脂の乗った鰻もいる。蒲焼にしても脂が強く、食べ終わった後まで口の中に重たさが残ることもあった。

愛媛では「むつこい」と表現するが、私には少々その脂が過ぎるように感じられた。

子どもの頃からそんな鰻を食べていたせいか、大人になった今でも「土用の丑の日だから鰻を食べたい」という気持ちはあまり湧いてこない。

世間が「一年に一度のごちそう」と盛り上がる一方で、私の頭に浮かぶのは、照りの美しい蒲焼ではなく、夏の川の流れや、水に入った時の冷たさ、そして魚を追いかけた子どもの頃の景色なのである。

そして近頃は、もう一つ思い出すものがある。

それは、なぜかジェイソン・ステイサムの誕生日である。

映画好きになってからというもの、土用の丑の日が近づくと、「そういえばステイサムの誕生日もこの頃だったな」と、鰻より先に思い出すようになってしまった。

テレビでは鰻の通販番組が流れ、映画チャンネルではアクション映画が放送される。

私の頭の中では、蒲焼よりも『トランスポーター』や『アドレナリン』で暴れ回るステイサムの姿のほうが鮮明なのである。

食べ物の記憶より、映画俳優の誕生日が先に浮かぶというのも少し妙な話だが、それもまた長年CS放送を見続けてきた副作用なのかもしれない。

土用の丑の日になると、多くの人は鰻を思い浮かべる。

私は川を思い出し、そしてジェイソン・ステイサムを思い出す。

人の記憶とは案外、世間の常識ではなく、自分が長い時間をかけて積み重ねてきた暮らしや趣味によって形づくられていくものなのだろう。


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