個人と共同体

個人と共同体

生命の境界線──マンモス、キメラ、そして根なし草の人間

先日、アニマルプラネットを眺めていると、ケナガマンモスを現代に蘇らせようとする最新技術を紹介する番組が放送されていました。マンモスのDNAを研究し、現生のゾウを基盤にマンモスの特徴を持った生物を作ろうという試みです。「絶滅した動物を蘇らせる...
AIと人間

文化は形を変えても残せるのか──『ゴールデンカムイ』から考える文化継承

『ゴールデンカムイ』の物語そのものは架空のものです。しかし、その作品をきっかけにアイヌ文化について調べていると、単なる漫画の舞台設定では終わらない問題が見えてきます。それは、「文化を後世へ残すとは、いったいどういうことなのか」という問題です...
人の記憶

一月遅れの祭り──「ふないぱっちん」が運んできた大分の夏

さとのか4Kを流し見していると、見慣れない祭りの映像が始まりました。夜の大分の街を、巨大な山車が進んでいます。「何だ、この祭りは?」それが、私と「府内戦紙(ふないぱっちん)」との出会いでした。正直なところ、私は今までこの祭りの存在を知りませ...
AIと人間

最終話 『人間の境界線──技術の先にある未来で、私たちは何を人間と呼ぶのか』

人間とは何だろう。この問いは、古くから哲学や文学で繰り返し考えられてきた。しかし、人工知能、ロボット、義体化技術、仮想空間が現実へ近づく時代になると、その問いは空想ではなく、未来の社会が向き合う問題になりつつある。これまで人間と機械の間には...
AIと人間

『アンドリューNDR114』が問いかけるもの──人間性を持つ存在に、人権は必要なのか

もし、機械が心を持ったとしたら。もし、喜びや悲しみを感じ、自分の意思で選択し、誰かを愛することができたとしたら。私たちは、その存在を単なる「道具」として扱い続けることができるだろうか。『アンドリューNDR114』は、ロボットが人間になること...
AIと人間

『攻殻機動隊』が問いかけるもの──人間の意識はどこまで拡張できるのか

人間とは、どこまでが人間なのだろうか。肉体が機械になっても、人間は人間と言えるのか。記憶をデータ化し、別の身体へ移すことができたなら、その存在は同じ人物なのだろうか。かつて、こうした問いはSFの中だけの話だった。しかし、人工知能や義手義足、...
AIと人間

『クリエイター』が映した未来──AIは敵なのか、それとも新しい創造者なのか

映画には、その時代の不安が映し出される。昨夜観た『クリエイター』も、まさにそんな一本だった。物語の舞台は、AIが人間社会に深く関わるようになった近未来。人間の生活を支える存在だったAIは、ある事件をきっかけに、人類にとって脅威と見なされるよ...
AIと人間

『刃牙』の妄想は現実になるのか──AIが変える「頭の中の訓練」

映画『グランツーリスモ』を流し見しながら、あることを考えた。ゲームの中で何千周も走り続けた経験が、現実のサーキットで通用する。一見すると映画ならではの演出に思える。しかし、その背景には「人間の脳は、繰り返しの経験や鮮明なイメージを現実の技能...
AIと人間

『グランツーリスモ』が問いかけるもの──人間の経験はデジタルで拡張できるのか

ゲームと現実。かつて、この二つの世界は明確に分かれていた。ゲームは娯楽であり、現実の技術や能力とは別のものだと考えられていた。しかし、『グランツーリスモ』が描いた物語は、その境界線が少しずつ変化していることを示している。ゲームの世界で何千回...
人の記憶

そういや昔……から始まる話──缶コーヒー片手の雑談が記事になるまで

現場仕事の前には、缶コーヒーを片手に他愛もない話をする時間があります。「昨日は暑かった。」 「猫がまた悪さをした。」 「昔の車は狭かった。」 「そういや映画でさ……。」仕事とは関係ない話ばかりです。でも、私のブログ『異民の苦楽詩』は、たいて...