映画から考える社会

『タクシードライバー』──夜の街を走りながら、社会を嫌いになっていく男

映画を観ていると、「なぜか最後まで観続けてしまう作品」がある。『タクシードライバー』は、私にとってそんな映画の一つだ。派手なアクションが続くわけでもない。主人公が超人的な能力を持っているわけでもない。それなのに、夜のニューヨークを走る一台の...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」9 三部作が残す「見る/見られる」の境界線

『Pearl』『X』『MaXXXine』の3作品を続けて観ていると、最初は単純なホラー映画の三部作に見えていた物語が、少しずつ別の姿に変わってくる。農場。映画撮影。ハリウッド。宗教。欲望。身体。カメラ。そして、そこにいる人間たち。それぞれ違...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」8 人間はなぜ「見られたい」のか

『Pearl』『X』『MaXXXine』をここまで追ってくると、どうしても一つの疑問が残る。なぜ人間は、誰かに見られたいのだろう。映画の中では、スターになりたいという夢として描かれる。カメラの前に立ちたい。有名になりたい。誰かに自分の存在を...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」7 絵画、テレビ、映画、SNS──人間を記録する視線

『Pearl』『X』『MaXXXine』を観ていると、何度もカメラが登場する。人間を撮影する。身体を映す。表情を残す。そして、その映像を誰かが見る。しかし、考えてみれば「人間を記録する」という行為は、映画から始まったものではない。映画が登場...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」6 農場からハリウッドへ──場所が変わっても残る欲望

『X』三部作を観ていると、物語の舞台が大きく変化していくことに気づく。『Pearl』では、1920年代の農場。『X』では、1979年のテキサスの農場。そして『MaXXXine』では、1985年のハリウッド。農場から都市へ。閉じた土地から巨大...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」5 宗教と映画産業は本当に正反対なのか

『X』三部作を観ていると、宗教と映画産業が何度も対立する。一方には、性や欲望を否定しようとする宗教的な価値観がある。もう一方には、人間の欲望や身体を映像にして商品にする映画産業がある。一見すると、この二つは正反対に見える。片方は「欲望を抑え...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」4 三部作を通して見えてくる「視線」

『Pearl』『X』『MaXXXine』。この3作品は、それぞれ時代も舞台も違うように見える。『Pearl』では1920年代の農場。『X』では1979年のテキサス。そして『MaXXXine』では1985年のハリウッド。時代が進み、舞台も変わ...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」3『MaXXXine』が描く「見られること」の代償──ハリウッド、宗教、殺人映像が交差する世界

『Pearl』では、「見られたい」という欲望が描かれていた。誰かに自分の存在を認めてもらいたい。特別な人間だと思われたい。今いる場所から抜け出したい。『X』では、その欲望が映画撮影という形で具体化する。人を撮影する側と、撮影される側。見る人...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」2 『X』が描く「見る人」と「見られる人」──のどかな農場に持ち込まれた映画と欲望

『Pearl』で描かれていたのは、「見られたい」という欲望だった。自分は特別な人間なのだと誰かに認めてもらいたい。今いる場所から抜け出して、別の人生を手に入れたい。その欲望が、Pearlという女性を少しずつ変えていった。では、その「見られた...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」1 『パール』の笑顔が怖い理由──「見られたい人間」が演じる人格の正体

A24の映画『パール』を、半分流し見のように観ていた。ホラー映画として観ることもできる作品だが、観終わったあとに妙に頭に残ったのは、殺人描写ではなかった。最後の笑顔だった。引き攣ったような笑顔。あれは喜びなのか、絶望なのか、それとも発狂なの...