先日、アニマックスで懐かしい『まんが日本昔ばなし』を見ていました。
子どもの頃に見ていた番組が、何十年も経った今になってテレビに映っている。
それだけでも少し不思議な感覚になります。
ところが、ふと画面を見ていると、昔とは違うところが気になりました。
番組の最後に表示される権利表記です。
「あれ? 昔はTBSで放送していた番組なのに、現在は愛企画センターが権利を持っているのか」
そこから、昔のテレビ番組というものは、放送局がずっと権利を持っているとは限らないのだと知りました。
テレビ局は番組を放送する。
しかし、その番組そのものを制作し、著作権などを管理している会社が別に存在する場合もある。
そう考えると、半世紀近く前に作られた『まんが日本昔ばなし』が、現在もCS放送などで見ることができる理由も少し分かってきます。
作品は放送が終わったからといって、消えてしまうわけではない。
誰かがその作品を管理し、時代を越えて再び世の中へ送り出している。
そんなことを考えながら、何気なく見ていた一本が『三枚の御札』でした。
そして、こちらのほうが著作権の話よりも気になってしまったのです。
山姥は、やっぱり怖い
『三枚の御札』に登場する山姥は、とにかく怖い。
山に住み、人間を追いかけ、姿を変えながら迫ってくる。
子どもの頃に見れば、かなり強烈な恐怖です。
しかも、相手は山姥です。
普通の人間が力で勝てるような存在ではありません。
ところが、この話で山姥を倒すのは、強い武士でもありません。
和尚の知恵です。
御札を使って山姥から逃げ、最後には山姥自身の力を逆手に取ってしまう。
ここで私は、少し嫌なことを考えてしまいました。
「もしかすると、この世で一番怖いのは人間なのではないか」
山姥は恐ろしい。
しかし山姥は、人間を食べようとしているだけです。
やっていることが最初から分かっている。
ところが人間は、相手の性質を観察し、弱点を見つけ、相手の力まで利用してしまう。
怪物を倒すのに、怪物以上の怪物になる必要はない。
相手を理解し、知恵を使えばいい。
そう考えると、山姥よりも和尚のほうが、どこか恐ろしく見えてくるのです。
昔話に出てくる「怖いもの」
昔話には、山姥だけではなく、鬼、狐、狸、天狗、蛇、幽霊など、恐ろしい存在が次々と登場します。
しかし、話をよく見ていると、物語を本当に動かしているのは、人間の欲望だったりします。
欲深い人間。
約束を破る人間。
人を騙す人間。
嫉妬する人間。
恩を忘れる人間。
欲望のために他人を利用する人間。
怪物が登場しているのに、最後に残るのは人間の姿だったりする。
だから昔話の怪物は、単なる恐怖の対象ではなく、人間の内面を映す鏡なのかもしれません。
鬼が怖いのではなく、鬼を見た人間が何をするのか。
山姥が怖いのではなく、山姥に出会った人間がどう考えるのか。
そこに昔話の面白さがあります。
時代劇と昔話は、意外と似ている
こう考えてみると、昔話は時代劇にも少し似ています。
時代劇では、悪代官や盗賊、浪人などが登場します。
しかし、本当に描かれているのは刀や殺陣だけではありません。
なぜ人間は欲深くなるのか。
なぜ人は他人を裏切るのか。
なぜ権力を持つと、人は変わってしまうのか。
そこに人間の内面があります。
昔話も同じです。
舞台が山奥であろうと、江戸時代であろうと、現代の都会であろうと、人間が抱える欲望や恐怖そのものは、それほど変わらない。
だから何十年も前の昔話を、現在見ても妙に納得してしまうのかもしれません。
山姥はいなくなった。でも人間は変わったのか
現代の日本に、山姥が本当にいるのかは分かりません。
少なくとも、山の中から巨大化して追いかけてくる山姥に出会う機会は、昔より少なくなったでしょう。
しかし、
人を騙す人間。
人の欲につけ込む人間。
他人の善意を利用する人間。
自分の利益のために他人を犠牲にする人間。
そういう人間なら、今の社会にも存在します。
怪物がいなくなったからといって、人間社会から恐怖がなくなったわけではありません。
むしろ現代では、怪物の姿をしていないからこそ分かりにくい怖さがあります。
山姥なら「山姥だ」と分かります。
しかし人間は、普通の顔をして近づいてくる。
その意味では、昔話の怪物よりも現代社会の人間のほうが、よほど見分けにくい存在なのかもしれません。
昔話が古くならない理由
『まんが日本昔ばなし』を見ていて面白いのは、映像や音楽には確かに時代を感じるのに、物語そのものはそれほど古く感じないことです。
それは、昔話が現代社会を予言していたからではないでしょう。
昔から人間が、それほど変わっていないからです。
欲望も、嫉妬も、恐怖も、ずる賢さも、親切心も、誰かを思いやる気持ちも、昔から人間の中にありました。
山姥という姿を借りて描かれているものも、結局は人間の心なのかもしれません。
そう考えると、昔話は単なる子ども向けのお話ではなく、昔の人間が残してくれた「人間社会の観察記録」のようにも見えてきます。
そして半世紀近く経った現在でも、私たちはそこに笑ったり、怖がったり、妙に納得したりする。
山姥は昔話の中にしかいなくなった。
けれど、人間の中にある「山姥より怖いもの」は、まだ消えていない。
『三枚の御札』を見ながら、そんなことを考えてしまいました。
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今回の『三枚の御札』では、山姥という「異形」の存在を通して、人間の知恵や欲望の怖さを考えてみました。けれど、昔話の世界を覗いていると、怪物だけではなく、人間と人間の間にも、越えてはいけない境界線が存在することに気づかされます。次は、その境界線をもう少し身近な人間社会から眺めてみようと思います。



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