時代劇を見ていると、不思議に思うことがある。
悪人が逃げ続ける話よりも、最後には罪を認めて頭を下げる話が多い。
奉行所に捕まるからという理由だけではない。
どこかに
「もうこれ以上は隠していられない」
という空気が流れている。
私は江戸時代の同心や岡っ引き、御白洲や火消しについて調べているうちに、別の疑問にたどり着いた。
日本人の倫理観とは一体何なのだろうか。
仏教だけでは説明できないもの
日本人の道徳観は仏教から来ていると思われることが多い。
確かに
- 因果応報
- 慈悲
- 思いやり
といった考え方には仏教の影響がある。
しかし、それだけでは説明できない部分もある。
例えば、
「お天道様が見ている」
という言葉である。
そこには特定の宗教の神ではなく、自分自身への恥の感覚がある。
誰も見ていなくても悪いことはしたくない。
日本人の倫理観にはそんな特徴があるように思う。
村社会が育てた感覚
日本は長く農耕社会だった。
田植えも稲刈りも一人ではできない。
水路の管理も共同作業である。
そのため、
協力できない人間は周囲から信頼を失う。
法律より先に
「周囲に迷惑をかけない」
という感覚が生まれた。
現代でも
「人に迷惑をかけるな」
という言葉をよく耳にするが、その根っこはかなり古いのかもしれない。
江戸の町を支えたもの
江戸の治安制度を見ても同じことが言える。
町奉行だけで100万人都市を管理することはできない。
同心がいて、岡っ引きがいて、町人が情報を持ち寄る。
火事になれば火消しが駆けつける。
子供は長屋や寺子屋で見守られる。
つまり、
制度だけで江戸が動いていたわけではない。
人と人との信頼関係があって初めて機能していたのである。
世間という見えない裁判所
日本人はよく
「世間様に申し訳ない」
と言う。
面白いことに、これは法律用語ではない。
しかし時に法律よりも強い力を持つ。
江戸時代の町人たちにとっても、
御白洲で裁かれる前に、
世間の評判を失うことの方が怖かったのではないだろうか。
その意味では、
江戸の町全体が一つの見えない裁判所だったとも言える。
火消し頭が人気だった理由
子供たちが憧れた職業の中に火消し頭があったという。
危険な仕事にもかかわらず人気があったのは、
権力があったからではない。
いざという時に先頭に立つからである。
困っている人を助ける。
町を守る。
口だけではなく行動する。
そんな人物が尊敬された。
これは日本人が理想とする人物像の一つだったのかもしれない。
倫理観の正体
日本人の倫理観は仏教だけでも、神道だけでも説明できない。
農村共同体の知恵。
長屋文化。
寺子屋教育。
職人社会。
武士道。
そうしたものが長い年月をかけて積み重なり、
「お互い様」
という感覚を育ててきた。
それは法律や宗教よりも先にある、
生活の知恵だったのではないだろうか。
おわりに
同心や火消し、御白洲や寺子屋について調べているうちに、一つのことに気づいた。
江戸を支えていたのは制度だけではなかった。
その背景には、
人は一人では生きられないという共通認識があったように思う。
現代では個人の自由が尊重されるようになった。
それは素晴らしいことだと思う。
しかし一方で、
「お互い様」
という言葉の中に込められた知恵もまた、簡単には失いたくないものである。



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