夫婦というと、いつも一緒にいる姿を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
出かける時も、食事をする時も、休む時も隣同士。
仲が良い夫婦とは、そんなものだと思われがちである。
しかし、我が家の猫たちを見ていると、どうもそうではないらしい。
コリンと月丸は夫婦である。
それなのに、一日中寄り添っているわけではない。
むしろ、それぞれ好きな場所で昼寝をし、それぞれ好きな時間を過ごしていることのほうが多い。
コリンは相変わらずのマイペースだ。
気になる物音があればそちらへ向かい、窓の外に鳥がいれば夢中になって眺める。
月丸が近づいても、「ああ、来たのか」くらいの反応で、また自分の世界へ戻っていく。
一方の月丸も、それを責めることはない。
無理に後を追いかけることもなく、自分の居場所へ戻っていく。
そんな二匹を見ていると、「夫婦なのだから、もっと一緒にいればいいのに」と思う人もいるかもしれない。
けれど、不思議とその関係は冷たくは見えない。
休日の夜更け、他の猫たちがまだ眠っている頃になると、二匹は自然と同じ部屋へやって来る。
月丸はコリンのそばへ歩み寄り、そっと頭を擦り寄せる。
コリンは大げさな反応を見せることもなく、そのまま受け入れる。
少しすると、また別々の場所へ移動していく。
たったそれだけのやり取りなのに、そこには安心感がある。
お互いを束縛することもなく、必要以上に干渉もしない。
それでも「そばにいてもいい」という空気だけは、ちゃんと流れている。
考えてみれば、人間は「一緒にいる時間の長さ」で関係の深さを測ろうとすることがある。
毎日連絡を取り合う。
休日は必ず一緒に過ごす。
それが愛情の証だと思い込んでしまう。
もちろん、それが心地よい夫婦もいるだろう。
けれど、すべての夫婦が同じ形である必要はない。
一人で過ごす時間を大切にする人もいる。
黙って同じ部屋にいるだけで安心できる人もいる。
大切なのは、一緒にいる時間の長さではなく、一緒にいて疲れない関係なのかもしれない。
コリンと月丸を見ていると、そんなことを考えさせられる。
近づきたい時は、自分から近づく。
一人になりたい時は、無理をしない。
相手にも、その時間を認めてあげる。
それは冷たさではなく、信頼なのだろう。
人は「寄り添う」という言葉を使う。
けれど、本当に寄り添うとは、四六時中くっついていることではない。
相手の時間を尊重しながら、「帰ってくる場所」であり続けることではないだろうか。
今日もコリンは気ままに部屋を歩き回り、月丸はそんな姿を静かに見守っている。
互いに干渉しすぎず、離れすぎることもない。
その自然な距離を眺めていると、夫婦とは「いつも寄り添うこと」ではなく、「安心して離れていられること」なのだと、猫たちが静かに教えてくれているような気がする。
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寄り添うことだけが信頼ではないように、猫たちの暮らしにも、それぞれの役割や関係があります。
同じ家で過ごしていても、仲の良い猫もいれば、一定の距離を保つ猫もいる。それでも、いざという時には不思議と支え合っている姿を見ることがあります。
次の記事では、そんな猫たちが見せてくれた「家族」というものについて、もう少し考えてみたいと思います。



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