――私たちは他人の人生ではなく、編集された人生を見ている
前章では、映画が現実を誇張し、省略しながら体験を再構成する装置であることを書いた。
では、映画館を出た後の私たちはどうだろうか。
今や多くの人が毎日のように眺めている映像がある。
SNSである。
スマートフォンを開けば、
旅行先の写真。
美味しそうな料理。
楽しそうなイベント。
理想的な暮らし。
次々と誰かの日常が流れてくる。
それらを見ていると、不思議な感覚になることがある。
「みんな充実しているな。」
「自分だけ取り残されているのではないか。」
しかし本当に私たちは他人の日常を見ているのだろうか。
SNSは人生のダイジェスト版である
映画が二時間の中に人生の重要な場面だけを切り取るように、
SNSもまた人生のダイジェスト版である。
朝起きて、
通勤し、
疲れて帰宅し、
特に何も起きない一日。
そうした時間はほとんど投稿されない。
投稿されるのは、
楽しかった瞬間。
嬉しかった出来事。
印象的だった体験。
つまりSNSは現実の記録ではなく、
現実のハイライト集なのである。
私たちは他人の舞台裏を知らない
映画館で映画を見ているとき、
観客は撮影現場を知らない。
失敗したテイクも知らない。
編集で削られた場面も知らない。
完成した作品だけを見る。
SNSもよく似ている。
私たちは投稿された写真を見る。
しかし、
撮影までに何枚撮ったのか。
どれだけ加工したのか。
投稿するまで何を迷ったのか。
そうした舞台裏を見ることはない。
結果として、
完成品だけが現実として目に入る。
なぜSNSは現実より現実らしく見えるのか
ここが興味深い。
映画だと私たちは最初から虚構だと理解している。
ニュースも編集されていると知っている。
しかしSNSは違う。
そこに映っているのは一般の人々である。
友人。
知人。
同級生。
同僚。
だからこそ、
「これは本物の人生だ」
と感じてしまう。
しかし実際には、
その人生もまた編集されている。
むしろ本人が編集者になっていると言ってもよい。
アルゴリズムは「見たいもの」を集めてくる
さらにSNSにはもう一つ特徴がある。
アルゴリズムである。
私たちが興味を示した内容は、
さらに似た情報を呼び寄せる。
旅行動画を見れば旅行動画が増える。
映画を見れば映画が増える。
社会問題を見れば社会問題が増える。
その結果、
世界全体ではなく、
自分向けに編集された世界を見ることになる。
私たちは現実を見ているつもりで、
実はアルゴリズムが作った世界を眺めているのかもしれない。
SNSは嘘なのか
ここまで書くと、
SNSは嘘ばかりだと思われるかもしれない。
しかしそうではない。
旅行は本当に行ったのだろう。
料理も実際に食べたのだろう。
笑顔も本物かもしれない。
問題は真実か嘘かではない。
ニュースが事実を編集するように、
映画が体験を編集するように、
SNSもまた人生を編集しているのである。
私たちは何を見ているのか
ここまでシリーズを通して見てくると、
共通点が見えてくる。
ニュースは事実を編集する。
ドキュメンタリーは現実を編集する。
実況やDJは感情を編集する。
映画は体験を編集する。
そしてSNSは人生を編集する。
どれも完全な嘘ではない。
しかし完全な現実でもない。
私たちは常に、
誰かによって意味づけされた世界を見ている。
結論 SNSは現代のドキュメンタリーである
SNSが現実より現実らしく見えるのは、
そこに映っている人物が身近だからである。
しかし実際には、
ニュースや映画と同じように編集が行われている。
違うのは、
編集者がテレビ局でも映画監督でもなく、
私たち自身だということだ。
考えてみれば少し不思議である。
人は昔から映画やテレビに演出を求めてきた。
そして今では、自分自身の人生にも演出を加えるようになった。
SNSとは、誰もが監督になれる時代の映像装置なのかもしれない。
次章では、その演出がさらに進んだ先にある存在について考えてみたい。
人間が編集するのではなく、
AIが現実そのものを作り始めた時代に、私たちは何を信じればよいのだろうか。
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