個人と共同体

人の記憶

第一章 レンガ一つで変わる、人の動線

朝方、仕事を終えて家へ戻ると、居間のちゃぶ台に小さな違和感を覚えました。見慣れたはずの景色なのに、どこか高さが違うのです。気のせいかと思いながら近づいてみると、その理由はすぐに分かりました。ちゃぶ台の四本の脚の下に、それぞれ一枚ずつレンガが...
人の記憶

**『野良牛日誌』**は、インドの街を悠々と歩く野良牛に憧れて生まれた小さな観察日記です。

経済発展の真っただ中にありながら、自分の歩幅を崩さず、慌てることなく今日を生きる野良牛たち。その姿に、私は「こういう生き方も悪くない」と心を動かされました。いつか自分の足でインドを訪れ、その風景をこの目で見てみたい。そんな願いを胸に抱きなが...
人の記憶

夜が終わる頃、人は仕事を脱ぐ──映画『ゴミ屑と花』を観て思い出したこと

Amazon Prime Videoで、短編映画『ゴミ屑と花』を観ました。上映時間は約30分。夜勤のゴミ収集員として働く研修生と指導員が、担当区域の収集ルートを巡りながら仕事を覚えていく物語です。道中では、ゴミの出し方をめぐる住民とのトラブ...
人の記憶

人はなぜ、守られていることを忘れてしまうのか──『バーニング・シー』が残した一言

作業をしながら、映画『バーニング・シー』を流し見していた。北海油田で発生したガス漏れをきっかけに、海底地滑りという未曾有の災害へと発展していく物語である。事故現場に取り残された家族を救うため、主人公は燃え広がる海へ向かう。救助艇に海水を入れ...
人の記憶

『鬼平犯科帳』が何十年経っても色褪せない理由──私が物語より先に「人」を見てしまうわけ

若い頃と、今とでは見ているものが違う最近、時代劇専門チャンネルで『鬼平犯科帳』を流し見することが増えた。「流し見」と言いながら、気づけば手が止まり、いつの間にか画面に引き込まれている。不思議なのは、若い頃と今とでは、見ているものがまるで違う...
人の記憶

人はなぜ、食卓を囲むのだろう。

衣・食・住は人が生きるための基本とされています。しかし、人が集まる場を思い浮かべると、その多くは「食」を中心に成り立っていることに気づきます。結婚式の披露宴、祝宴、法事、祭り、会社の飲み会、友人との食事会。海外ではホームパーティーや晩餐会、...
人の記憶

命をいただき、命を返す

― 『ある船頭の話』が記憶から離れない理由深夜、何気なく映画を観ていると、なぜか何年経っても心に残り続ける作品があります。私にとって『ある船頭の話』は、そんな一本でした。物語の舞台は、橋のない山あいの集落。船頭は毎日、小さな渡し舟で人々を向...
人の記憶

深夜のコンビニと行き先のない旅 ― 『ヴァイブレータ』を観て

深夜のコンビニには不思議な空気がある。昼間のような慌ただしさはない。仕事帰りの人、夜勤前の人、長距離運転の途中らしい人。それぞれ別々の理由で立ち寄っているはずなのに、どこか同じ時間を共有しているようにも見える。そんな深夜のコンビニから始まる...
人の記憶

夜更けのコンビニは、なぜ少しだけ優しいのか

深夜のコンビニへ行くことがある。何か特別な買い物があるわけではない。牛乳が切れたとか、煙草を買い忘れたとか、アイスが食べたくなったとか。理由はどれも些細なものだ。それなのに昼間とは違う空気を感じることがある。昼のコンビニは忙しい。宅配便を持...
人の記憶

食から言葉へ──郷土文化における身体・笑い・記憶の構造

郷土料理というものは、単なる地域の食ではない。それは「何を食べていたか」という記録であると同時に、「そのとき身体に何が起きていたか」という記録でもある。さらに言えば、食はその場で終わるものではなく、やがて笑いとなり、言葉となり、記憶として残...