人はなぜ、守られていることを忘れてしまうのか──『バーニング・シー』が残した一言

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作業をしながら、映画『バーニング・シー』を流し見していた。

北海油田で発生したガス漏れをきっかけに、海底地滑りという未曾有の災害へと発展していく物語である。

事故現場に取り残された家族を救うため、主人公は燃え広がる海へ向かう。救助艇に海水を入れ、艇ごと潜って炎をやり過ごす場面は、パニック映画らしい迫力があった。

しかし、私の印象に残ったのは、その場面ではなかった。

物語の最後、上司の男性が静かに口にした一言である。

「石油があることで我々は浮かれていた。この国は海に囲まれた国だということを忘れていた。」

その言葉を聞いたとき、不思議と日本のことが頭に浮かんだ。

私たちもまた、四方を海に囲まれた島国に暮らしている。

海は豊かな恵みを与えてくれる一方で、ひとたび牙をむけば、人間の力では抗えない存在にもなる。

それは海だけではない。

川も山も、普段は静かな景色の一部でありながら、大雨や地震が起これば、その表情を一変させる。

自然は変わっていない。

変わるのは、いつも人間のほうなのだ。


数年前、防災のために造られていた施設の一部が開発によって改変され、その後の豪雨で浸水被害が発生したという出来事を目にしたことがある。

その出来事の原因を一つに決めつけることはできないだろう。

災害は多くの要因が重なって起こるものだからだ。

それでも、あのニュースを見たとき、私はこんなことを考えた。

「この構造物は、なぜ最初に造られたのだろう。」

今の私たちは、その理由をどれだけ知っているのだろうか。


先代や先々代が残してきたものは、古いから価値があるわけではない。

そこには、その土地で暮らしてきた人たちの経験が積み重なっている。

大きな災害を経験した人。

川が氾濫する様子を目の当たりにした人。

海にすべてを奪われた人。

そうした人たちが、「二度と同じ思いをしないように」と残したものが、防波堤であり、堤防であり、護岸だったのかもしれない。

もちろん、社会は変わる。

新しい技術も必要になる。

開発そのものを否定するつもりはない。

ただ、一つだけ思うことがある。

何かを変える前には、「なぜ、それが今まで残されてきたのか」を知っておきたい。

その理由を知った上で選ぶのと、知らないまま変えてしまうのとでは、同じ開発でも意味が違ってくるように思う。


私たちは、新しいものを造ることはできる。

けれど、長い年月をかけて積み重ねられてきた経験までは、一から造ることはできない。

だからこそ、先人が残したものを見るとき、「古いもの」と考える前に、「どんな理由があったのだろう」と立ち止まってみたい。

映画の最後に残ったあの一言は、北海油田の話だけではなかったように思う。

豊かさや便利さに目を向けることは悪いことではない。

ただ、その足元で、誰かが守り続けてきたものがあることを忘れたとき、人は初めて、自分が何に支えられていたのかを知るのかもしれない。


私たちは、自然だけでなく、言葉や文化、人とのつながりの中にある「本来の意味」も、いつの間にか忘れてしまいます。

そんな「当たり前の奥にある理由」を見つめた記事も、あわせて読んでいただければ嬉しく思います。

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