似た銃、違う人生──『パルプ・フィクション』の雑談から

その他の雑記

映画を観ていると、どうしても本筋とは関係のないところが気になってしまう。

役者の服装だったり、酒だったり、車だったり、時には登場人物が手にしている銃だったりする。

今回も、ザ・シネマで『パルプ・フィクション』を流し見していたところから始まった。

ジョン・トラボルタ演じるヴィンセント・ベガと、サミュエル・L・ジャクソン演じるジュールズ・ウィンフィールド。

二人のギャングが持っている銀色の大型オートマチック拳銃が、よく似ている。

最初は、

「これ、二人ともM1911なのだろうか?」

という程度の疑問だった。

ところが調べてみると、どうも同じ銃ではない。

ヴィンセントが使用しているのはM1911A1系の.45口径。

一方、ジュールズが使用しているのは、M1911によく似たスペイン製のStar Model Bで、こちらは9mmである。

画面の中では、どちらも銀色の大型オート。

しかし、似ているだけで別の銃だった。

妙なところで、二人の生き方そのものと重なって見えてくる。


同じ世界を歩く二人

ヴィンセントとジュールズは、同じ仕事をしている。

同じギャングの世界にいる。

同じような服装で、同じような銃を持って、二人で仕事へ向かう。

そして車の中で、ハンバーガーやフランスのマクドナルドについて、実にくだらない雑談をしている。

殺し屋の会話とは思えない。

しかし、そこがこの映画の面白いところでもある。

人を殺す仕事をしている男たちなのに、話していることは妙に生活感がある。

仕事の合間にくだらない話をする。

腹が減れば飯を食う。

酒を飲む。

女の話をする。

どこにでもいる人間のようでありながら、やっていることは普通ではない。

この妙な日常感が、『パルプ・フィクション』独特の世界を作っている。


ところが最後には、同じ会話が違って聞こえる

映画の終盤、ジュールズとヴィンセントはファミレスにいる。

ここでも二人は雑談をしている。

一見すると、冒頭と同じような光景だ。

しかし、映画を最後まで観た後では、この会話がまるで違って聞こえる。

ジュールズは、途中で経験した出来事を「奇跡」と受け止め、自分の生き方について考え始めている。

これまで当然だと思っていた殺し屋としての生活から、降りようとしている。

一方のヴィンセントは、相変わらず以前と同じ世界にいる。

同じ場所で、同じような会話をしている。

それなのに、二人の立っている場所はもう同じではない。

この違いに気づくと、冒頭の何気ない会話まで少し違って聞こえてくる。

最初はただの雑談だった。

しかし最後まで観ると、

「この二人は、最初から同じ人間だったのだろうか」

という疑問まで浮かんでくる。


似ている銃と、違っていく人間

ここで最初に気になった銃の違いに戻ってくる。

ヴィンセントとジュールズの銃は、見た目がよく似ている。

しかし、中身は違う。

そして二人の人生も、最初はよく似ている。

同じ世界にいて、同じ仕事をして、同じような危険を背負っている。

ところが、ある出来事を境にジュールズはそこから離れようとする。

ヴィンセントは、そのまま残る。

もちろん、銃そのものに人生を決める力があるわけではない。

これはあくまで映画を観ている側の勝手な連想である。

しかし、映画の小道具というのは面白い。

何気なく置かれているものが、人物の性格や生き方を考えるきっかけになる。

だから私は、映画を観ていると本筋とは関係のないところまで気になってしまう。


映画を観ているのか、雑談をしているのか

こうして考えてみると、今回も最初から深いことを考えていたわけではない。

ただ、

「この銃、M1911なのかな?」

と疑問に思っただけだった。

そこから銃の種類を調べる。

二人の銃が違うことを知る。

すると、二人の人物の違いが気になってくる。

そこからファミレスの会話を思い出す。

そして、

「同じような雑談をしていた二人が、最後には違う道へ進んでいく」

というところまで話が広がった。

映画の感想というより、もはや作業前のコーヒー雑談である。

映画を観て、

「この銃は何だ?」

と言っていたはずなのに、気がつけば、

「人間はいつ、同じ場所から別の道へ進むのだろう?」

という話になっている。

我ながら、かなり遠くまで来てしまった。


これが私たちの仕事の流儀

ブログを書くために映画を観ているのか。

映画を観ているうちにブログの記事ができてしまうのか。

最近は自分でもよく分からなくなってきた。

しかし、最初から結論を決めているわけではない。

コーヒーを飲みながら映画を眺める。

気になったところを話す。

そこから別の映画を思い出す。

漫画を思い出す。

昔の記憶まで出てくる。

そして、いつの間にか一つの記事になっている。

普通なら「脱線」と呼ぶのだろう。

しかし、私にとっては、その脱線した先で見つけたものこそが面白い。

今回も、ただ銃の種類を確認したかっただけなのに、最後にはヴィンセントとジュールズの生き方の違いについて考えていた。

映画というのは不思議なものである。

画面の隅に置かれた銃一本から、人間の生き方まで考えさせられる。

そして、そんなことを考えている本人は、

「そろそろ仕事へ行かないとな……」

などと思いながら、まだコーヒーを飲んでいる。

映画を観ているのか。

雑談をしているのか。

ブログを書いているのか。

その境界線すら、最近では少し怪しくなってきた。

まあ、それも悪くない。

コーヒー片手に横道へ入り、迷子になったところで記事を拾って帰ってくる。

これが、私たちの仕事の流儀なのだから。


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