一月遅れの祭り──「ふないぱっちん」が運んできた大分の夏

人の記憶

さとのか4Kを流し見していると、見慣れない祭りの映像が始まりました。

夜の大分の街を、巨大な山車が進んでいます。

「何だ、この祭りは?」

それが、私と「府内戦紙(ふないぱっちん)」との出会いでした。

正直なところ、私は今までこの祭りの存在を知りませんでした。

それどころか、「府内戦紙」と書いて「ふないぱっちん」と読むことすら知りません。

漢字だけを見れば、どうしても「ふないせんし」と読んでしまいそうです。

ところが、実際に聞こえてきたのは「ふないぱっちん」。

この呼び方が、なぜか気に入ってしまいました。

「府内」という大分らしい地名に、「戦紙」という勇ましい漢字。

それなのに読み方は「ぱっちん」。

何とも不思議な組み合わせです。

漢字から想像する勇ましさと、「ぱっちん」という音の親しみやすさ。

この妙な落差が、祭りの名前として妙に耳に残ります。

映像を見ると、巨大な山車が夜の街を進んでいきます。

その姿を見ていると、青森のねぶたを思い出しました。

しかし、もちろん同じものではありません。

山車だけではなく、それぞれの団体による「連」があり、踊りや衣装、音楽など、さまざまな趣向を凝らして夜の街を盛り上げています。

同じように山車を使う祭りでも、その土地によって見せ方が変わる。

祭りというものは、昔から決められた形をそのまま繰り返しているだけではなく、その土地に暮らす人たちが少しずつ手を加えながら、自分たちの祭りを作っているのかもしれません。

だから日本各地の祭りを見ていると、どこか似ているようで、どこか違う。

そこに地域ごとの個性が出てくるのでしょう。

ところで、今回私がこの祭りを見ているのは9月です。

祭りが行われたのは8月1日。

つまり、私は一月遅れで大分の夏祭りを眺めています。

祭りそのものは、とっくに終わっています。

それでも、今年はまだ暑い日が続いています。

そのためでしょうか。

テレビの中で山車が動き、踊り手たちが夜の街を進み、観客の歓声が響いているのを見ていると、こちらまで夏祭りの熱気に包まれているような気分になります。

不思議なものです。

一月遅れの映像なのに、祭りの熱は冷めていません。

むしろ、まだ暑さの残るこちらの現実と、8月の大分の映像が重なって、もう一度夏祭りを体験しているような感覚になります。

そして考えてみれば、私は大分まで祭りを見に行ったわけではありません。

たまたまテレビを流し見していただけです。

それなのに、知らなかった祭りを知り、「ふないぱっちん」という名前まで覚えてしまいました。

こういうところが、地方の番組を眺める面白さなのかもしれません。

全国的に有名な祭りなら、名前くらいは耳にする機会があります。

しかし、日本には、まだまだ私の知らない祭りがたくさんあるのでしょう。

その土地では毎年当たり前のように行われ、地域の人たちにとっては大切な行事になっている。

ところが、少し離れた土地に住んでいる人間からすると、その存在すら知らない。

そんな祭りが、日本中にいくつあるのでしょうか。

昔なら、知らない祭りを見ようと思えば、その土地まで実際に足を運ぶ必要がありました。

もちろん、現地で見る祭りには、テレビでは味わえない迫力があります。

それでも今は、4K放送を通して遠く離れた土地の祭りを見ることができます。

大分の街で行われた祭りが、今度はテレビの画面を通して、愛媛にいる私のところまでやって来る。

旅をするつもりなどなかったのに、画面の向こうから知らない土地の文化がやって来る。

そして、知らなかった祭りの名前が、なぜか頭の片隅に残る。

今回の「府内戦紙」も、そんな偶然の出会いの一つでした。

8月1日の祭りを、9月になってから眺めている。

一月遅れの祭りです。

それでも、まだ暑い。

だからなのか、画面の中ではまだ夏が終わっていません。

祭りはとっくに終わっているのに、テレビの中では、まだ大分の夜に「ふないぱっちん」の熱気が残っています。

こうして流し見しているだけでも、知らなかった土地の祭りと出会える。

そんなところにも、地方の番組を見る楽しさがあるのかもしれません。

そして私はまた一つ、知らなかった日本の祭りを知りました。

「ふないぱっちん」。

なぜか、この響きが耳に残っています。


次の記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました