― 移動は判断を変化させる ―
高速道路のパーキングエリアには、少し不思議なゴミが集まる。
同居人が以前、パーキングエリアの清掃業務に携わっていたことがある。
その話を聞いていると、家庭のゴミ箱ではあまり見かけないようなものが捨てられているという。
タグの付いたままの衣料品。
未使用のキャットフード。
食べられる状態の寿司の詰め合わせ。
時には大型魚や、明らかに家庭ごみとは異なるものまであるらしい。
最初は単純にマナーの問題だと思っていた。
しかし話を聞いているうちに、少し違う見方が浮かんできた。
パーキングエリアは単なる休憩所ではないのかもしれない。
家でもなく、目的地でもない。
移動の途中にある中間地点である。
人はそこでトイレに行き、飲み物を買い、少し歩きながら考える。
そして時には予定を変更する。
帰省を取りやめる。
寄り道を思いつく。
買ったものが不要になる。
持っていた荷物を整理する。
考えてみれば、私自身も予定していたことより、その場で思いついたことを優先することがある。
出発前には決めていたはずなのに、実際に動いてみると気持ちが変わる。
人間とは案外そういうものなのだろう。
そう考えると、パーキングエリアのゴミ箱に捨てられているのは単なるゴミではない。
そこには変更された予定がある。
途中で不要になった持ち物がある。
誰かが考え直した結果が残されている。
寿司が捨てられているなら、それは食べ物を捨てたというだけではない。
本来なら誰かと食べる予定だったのかもしれない。
届ける相手がいたのかもしれない。
しかし何らかの理由で、その予定は途中で終わった。
ゴミ箱の中には、その痕跡だけが残る。
高速道路のパーキングエリアは、人が通り過ぎる場所である。
しかし同時に、人が立ち止まる場所でもある。
目的地へ向かう途中で考え直し、迷い、選び直す。
その意味では、パーキングエリアは現代の分岐点のような存在なのかもしれない。
私たちは休憩所だと思っている。
だが実際には、多くの人の予定変更や決断が静かに行われている場所なのだろう。
そして清掃員は、その結果だけを毎日見ている。
捨てられた物の向こう側にある事情までは分からない。
それでも、そこには確かに誰かの判断の痕跡が残されている。
パーキングエリアのゴミ箱を見ていると、人は移動しながら考える生き物なのだと、少しだけ思わされるのである。
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