8月11日は「山の日」。
ヒストリーチャンネルでは、この日に合わせるように『ザ・山男』シリーズが長時間放送されている。
真夏に見る雪山の映像は、どこか涼しげだ。
白い息を吐きながら歩く山男。
雪に覆われた森。
凍り付いた川。
薪ストーブの炎。
暑さから逃れるには、なかなか魅力的な映像である。
しかし、そこで行われている作業をじっくり見ていると、涼しげという言葉とは程遠い現実が見えてくる。
そこには、自然の中で暮らす自由と引き換えに、自分の身体で背負わなければならない危険がある。
山の木を、自分の家に変える
『ザ・山男』を見ていると、山の木を伐採し、それを自分たちで加工して家を建てる場面が出てくる。
木を倒す。
丸太を運ぶ。
製材する。
板や柱に加工する。
そして、それを使って家を建てる。
現代の住宅建築なら、材料は製材所から運ばれ、現場ではクレーンなどを使って重量物を吊り上げる。
ところが山奥では、その工程そのものを自分たちで引き受ける。
必要なものがなければ、自分で作る。
これは非常に合理的な生活でもある。
しかし同時に、かなり危険な生活でもある。
人間がクレーンの代わりになる
特に印象に残るのが、家を建てる場面だ。
巨大な丸太を少人数で運び、立ち上げ、板などで固定しながら少しずつ組み上げていく。
一見すると「昔ながらの家づくり」に見える。
しかし、現代の建築現場を知っている人間から見ると、別のものが見えてくる。
本来ならクレーンが担当する仕事を、人間の身体が担当しているのだ。
丸太は重い。
立ち上げれば重心が変わる。
仮固定しているだけなら、何かの拍子に倒れる可能性もある。
支えている人が足を滑らせれば、重量物を制御できなくなる。
一歩間違えれば、重大な事故につながる。
だから、この作業は「時間が掛かる」のではなく、人間が機械の代わりをしているから時間が掛かるとも言える。
製材機もまた、人間を危険に近づける
家を建てるためには、木材を加工しなければならない。
番組では、山の中に自分たちで製作した製材設備を設置し、大木を板へ加工する場面も登場する。
これも見ている側からすると、かなり緊張する。
高速で回転する丸鋸。
巨大な木材。
少人数での作業。
現代の製材工場なら、安全装置や搬送設備、作業手順などによって危険を減らしている。
もちろん、テレビに映っている部分だけで現場全体の安全性を判断することはできない。
それでも、大型機械と重量物を扱う作業が危険を伴うことに変わりはない。
製材という仕事には、機械への巻き込まれ、木材の跳ね返り、重量物による挟まれなど、さまざまな危険が存在する。
「昔ながらの仕事だから危険」なのではない。
重いものと高速で動く機械を、人間が直接扱うから危険なのだ。
文明は、人間を怠け者にしたのか
ここで少し見方を変えてみたい。
私たちは普段、クレーンや重機を「便利な機械」と考える。
しかし、それだけではない。
クレーンは、人間が巨大な荷物を持ち上げなくてもいいように作られた。
ショベルカーは、人間が何時間もスコップを使い続けなくてもいいように作られた。
製材機は、人間が巨大な丸太を手作業で切り続けなくてもいいように作られた。
つまり文明の発展には、
「人間の能力を増幅する」
という側面だけではなく、
「人間の身体を危険から遠ざける」
という側面もある。
便利な道具は、人間を怠け者にしただけではない。
人間が死なずに済むように作られてきたものでもある。
そして重機は「力」から「判断」へ進んでいる
さらに面白いのは、現代の重機が単純な機械ではなくなりつつあることだ。
センサーやコンピューター制御、AIなどを利用し、作業を支援する重機も登場している。
これまでの重機は、人間の腕力を機械に置き換えるものだった。
しかし、これからの重機は、人間の判断まで支援する方向へ進んでいく。
熟練者が、
「ここではこの角度にする」
「この地盤なら無理をしない」
「この状態では荷重を掛けない」
と判断していたことを、センサーから得た情報や過去の作業データと組み合わせて、機械側から警告したり操作を支援したりする。
これは単なる自動化ではない。
熟練者の経験を、次の世代へ残すための技術とも考えられる。
人手不足がAI化を後押しする
こうした技術が注目される理由には、人手不足もある。
建設現場では、経験豊富な作業者が減っていく一方で、若い人材を確保する必要がある。
そこで、
「熟練者がいなければ何もできない」
という状態を少しずつ変えていく。
熟練者の経験をデータとして蓄積し、若手の作業を機械が補助する。
危険な操作を抑制する。
作業効率を高める。
そして将来的には、人間が直接操作しなくても重機自身が作業する。
そんな方向へ進んでいく可能性もある。
「重機のオヤジさん」が若手を見守る日
しかし、ここで私は少し変な未来を想像してしまう。
若いオペレーターがAI搭載重機を操作している。
その横に、長年現場で重機を操ってきた「オヤジさん」が立っている。
AIが、
「この条件では転倒リスクが高くなります」
と警告する。
するとオヤジさんが、
「AIはそう言ってるけどな。この山は雨が降った後が一番怖いんだ」
と若手に教える。
若手はAIの警告とオヤジさんの経験を聞きながら作業する。
なんとも奇妙な光景である。
しかし、案外これが未来の技術継承なのかもしれない。
AIは大量のデータを覚えられる。
過去の失敗も記録できる。
危険を予測することもできる。
それでも、人間の経験には、まだ言葉にしにくい部分が残る。
「今日は何となく土が違う」
「この音がしたら一度止めた方がいい」
「この現場は昔から危ない」
そんな経験を持った人間が、AIと若手の間に立つ。
技術は消えるのではなく、形を変える
昔は、師匠が弟子に技術を教えた。
次に、マニュアルが作られた。
そして今は、センサーやデータ、AIにも知識が蓄積されていく。
技術の継承方法が変わっているのである。
だからAI化は、必ずしも「熟練者の仕事を奪う」という一方向の話ではない。
むしろ、
熟練者が持っている知識を、どうやって次の世代へ残すのか。
という問題でもある。
そう考えると、AIは職人の敵ではなく、職人の知識を残すための道具になる可能性もある。
山男からAI重機へ
山の中で丸太を人力で立ち上げる山男。
クレーンで巨大な柱を吊り上げる現代の建築現場。
センサーとAIによって人間の操作を支援する最新の重機。
一見すると、まったく別の世界に見える。
しかし、その根底には同じ問題がある。
「人間は、重いものや危険なものを、どう安全に扱うのか。」
その答えを、人間は長い時間をかけて探してきた。
最初は自分の身体だった。
次に道具を作った。
やがて機械を作った。
そして今、その機械に人間の経験まで覚えさせようとしている。
文明とは、人間が弱くなっていく歴史ではない。
人間が自分の身体と命を守りながら、できることを増やしてきた歴史でもある。
そして、いずれ完全自動化された重機が当たり前になったとき。
現場の片隅には、昔の重機を知る「オヤジさん」が立っているかもしれない。
若手がAI重機を操作するのを眺めながら、
「そこは機械より俺のほうが分かるぞ」
と笑っている。
その姿を見ていると、技術がどれほど進歩しても、人間の役割が完全になくなるわけではないのだと思う。
機械が力を引き受ける。
AIが判断を補助する。
それでも最後に残るのは、長い経験から生まれた「ちょっと待て」という一言なのかもしれない。
次の記事
重機は、かつて人間の腕力を補うために生まれた。
そして今、その重機にAIが搭載され、人間の経験や判断まで補助するようになっている。
「人間が機械を使う」という関係は、少しずつ変わり始めているのかもしれない。
機械は、ただ人間の命令を待つ存在から、人間を支える存在へ。
それは便利な進化である一方で、「では、人間にしかできないことは何なのか」という新しい問いも生み出す。
重機のオヤジさんが若者を見守る未来の先には、AIと人間がどこまで仕事を分け合うのかという問題が待っている。
次の記事では、そんな**「機械が人間の仕事を奪う」のではなく、「人間と機械が仕事をどう分けるのか」**という境界線について考えてみたい。
『アンドリューNDR114』──人間性を持つ存在に、人権は必要なのか


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