「野良牛日誌」という名前を付けると、ときどきこう聞かれます。
「どうして野良牛なんですか?」
そのたびに私は少し笑ってしまいます。
実は、この名前には私自身の生き方と、まだ叶えていない一つの夢が込められているからです。
私が惹かれているのは、インドという国です。
世界有数の人口を抱え、目覚ましい経済発展を続ける一方で、そこには昔から変わらない風景も残っています。
その一つが、街を悠々と歩く野良牛です。
道路の真ん中で寝そべる牛。
車もバイクも、その姿を避けながら通り過ぎていきます。
急ぐ人も、働く人も、旅人も、誰ひとり牛を責めることはありません。
まるで、その国の日常に溶け込んでいる存在です。
私は、その光景を映像や写真で見るたび、不思議と心を奪われます。
世の中は、いつも何かに追われています。
速く歩くこと。
効率よく働くこと。
人より前へ出ること。
そんな価値観に囲まれて暮らしていると、自分まで急がなければならない気持ちになります。
けれど野良牛は違います。
誰かと競争することもなく、自分の歩幅で歩き、自分の居場所で休み、今日という一日を静かに生きています。
私は、その姿に憧れています。
もちろん、怠けたいわけではありません。
ただ、自分の歩幅だけは見失いたくないのです。
このブログを書いていると、その思いを強く感じます。
猫たちの日常を書き、チャボ計画に振り回され、郷土料理の歴史をたどり、人の言葉や文化を見つめ、裁判員として過ごした日々を振り返る。
テーマは違っていても、私はいつも出来事の中心ではなく、少し離れた場所から人や暮らしを眺めています。
だから、このブログは「野良牛日誌」なのです。
私は主役ではありません。
人々の営みを静かに見つめ、その景色を言葉として残す、一頭の野良牛でありたいと思っています。
そして、この名前にはもう一つ、小さな願いがあります。
いつの日か、自分の足でインドの大地を歩くこと。
画面越しではなく、本物の風や匂いを感じながら、街角で野良牛とすれ違ってみたい。
その日が来たら、この日誌は新しい一章を迎えるのでしょう。
その時まで私は、日本の片隅で今日も歩き続けます。
猫の足音に耳を澄ませ、チャボの孵化を見守り、家族の何気ない出来事に笑い、そして人の営みを文章へと書き留めていきます。
急ぐことなく。
立ち止まることも恐れず。
野良牛の歩幅で。
この日誌は、その途中経過なのです。
次の記事
野良牛に憧れる理由は、その姿だけではありません。
誰にも急かされず、自分の歩幅で歩き、ときには立ち止まって景色を眺める。その余白こそが、新しい発想を生み出すのではないかと、私は思っています。
世の中は「何かを足すこと」に価値を見いだしがちです。
けれど、本当に大切なものは、「何もないところ」から生まれることもあります。
私がそんなことを考えるようになったきっかけを、次の記事「偉大な発明は0」で綴ってみたいと思います。


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