『AIR』をスポーツ音痴が見る──ジョーダンを口説いた営業マンと、酒場のおっさんの話術

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ザ・シネマで『AIR/エア』を流し見していました。

私はそもそもスポーツにほとんど興味がありません。バスケットボールのスター選手と言われても、マイケル・ジョーダン本人について詳しいわけではない。

ところが、「AIR JORDAN」というバスケットシューズの名前なら知っています。

考えてみれば、これはなかなか不思議なことです。

バスケットボールを知らない人間にまで、その名前が届いている。

『AIR』は、その「名前そのものをブランドにしてしまった」過程を描いた映画でもあります。

最初は、企業の裏側を描いた成功物語ということで、それほど興味を持っていませんでした。

ところが、見ているうちに妙に面白くなってきました。

私が面白いと思ったのは、ジョーダンの華麗なプレーではありません。

ジョーダンを何とか自分たちの会社に引き入れようとする、スポーツ選手ではない人間たちの悪戦苦闘です。

スポーツができなくても、スター選手は口説ける

映画の中心にいるのは、バスケットボールのスター選手ではありません。

そのスター選手を、何とか自分たちの会社に引き込もうとしている営業マンやプレゼンターたちです。

彼らは当然、ジョーダンのような超一流アスリートではない。

実際のナイキ社員の姿を見ていても、

「この人たちは本当にスポーツ用品会社の社員なのか?」

と思ってしまうような人たちです。

もちろん、スポーツ用品会社で働く人間が全員アスリートである必要はありません。

彼らの仕事は自分でバスケットボールをすることではなく、商品を作り、選手を口説き、会社を説得し、契約をまとめることです。

つまり必要なのは、スポーツの才能ではなく、人間を相手にする実戦経験だったのでしょう。

ジョーダン本人には何が響くのか。

母親は何を重視するのか。

代理人には何を提示すればいいのか。

会社の上司をどう説得するのか。

一つ一つ相手を変えながら、話す内容も変えていく。

これは営業という仕事の、かなり原始的な部分なのかもしれません。

マニュアル通りに話せば相手が動いてくれるとは限らない。

相手の表情や反応を見ながら、

「これは駄目だ」

と思えば別の方法を考える。

「ここならいける」

と思えば、もう一歩踏み込む。

結局、人間相手の仕事には、そうした現場でしか身につかない技術があるのでしょう。

キング牧師の演説から生まれる即興

映画の後半で印象的だったのが、キング牧師の演説をきっかけに、用意されていたものとは違うアイデアで相手に対抗しようとする場面です。

これも、営業の面白さを表しているように感じました。

完璧に作られた資料があっても、それだけで人間の心を動かせるとは限らない。

その場の状況を見て、相手に届く言葉を探す。

それが結果的に、大きな契約へつながっていく。

成功した後から振り返れば、

「なるほど、これが歴史を変えたプレゼンだったのか」

となります。

しかし、その場にいる本人たちは、最初から結果を知っているわけではありません。

「こんなことを言って大丈夫なのか」

「これで本当に通るのか」

と迷いながら、それでも一歩踏み込む。

そこが、この映画のコミカルなところでもあります。

成功者を格好良く描くのではなく、成功する前の人間が、頭を抱えながら右往左往している姿を見せてくれる。

だからスポーツに興味のない私でも楽しめたのでしょう。

そこで思い出した、酒場の常連のおっさん

そんなことを考えていたら、妙な例えが浮かびました。

酒場で人気のある女性に、何度もアプローチする常連のおっさんです。

我ながら、ずいぶん下らない例えです。

しかし、「相手の反応を見ながら話し方を変える」という点だけを考えると、案外似ているところがあります。

「今日は機嫌が良さそうだ」

「この話題なら食いついてくれる」

「今日は押さない方がいい」

「前に話したことを覚えておいて、次に使おう」

そんなことを繰り返しているうちに、本人も気づかないところで、人間の反応を見る技術が身についていく。

別に営業研修を受けたわけでもない。

ただ何度も話しかけ、何度も失敗し、それでも店に通い続ける。

その結果として、

「この人には、こう話した方がいい」

という経験値だけが蓄積されていく。

ナイキの営業マンたちにも、これと似た部分があったのではないでしょうか。

彼らも最初からジョーダンを獲得する方法を知っていたわけではない。

だからこそ、相手の反応を見ながら次の手を考える。

「口が上手い」というより、人間相手の実戦経験が豊富だったと考えた方がしっくりきます。

ただし、酒場のお姉ちゃんにも事情がある

もっとも、ここには一つ注意が必要です。

酒場のお姉ちゃんの場合、何度も通っている常連客に愛想よく接するのは、当然ながら商売の一部でもあります。

「また来てくれたんですね」

「今日はどうしたんですか?」

「いつもありがとうございます」

そう言われれば、客としては悪い気はしません。

しかし、それが個人的な好意なのか、商売上の接客なのかは別問題です。

ここを勘違いすると、

「俺はこの店のお姉ちゃんに好かれている」

という、壮大な自己解釈が始まってしまう。

ところが、長く通っているうちに、

「最近ちょっと元気がないな」

「今日はずいぶん飲んでいるな」

と、店員側が客の変化に気づくこともある。

場合によっては、本当に心配されたり、同情されたりすることもあるでしょう。

そうなると、

それは商売なのか、人情なのか、それとも客の勘違いなのか。

境界線が急に曖昧になります。

ここが人間関係の面白いところです。

営業マンが相手の反応を見て「脈がある」と判断するのも、酒場の常連客が店員の笑顔を見て「俺に気があるのではないか」と考えるのも、根っこには同じ問題があります。

人間は、相手の反応を読みながら、その意味を勝手に解釈してしまう。

そして、その解釈が当たることもあれば、大外れすることもある。

違反さえ宣伝に変えてしまう

『AIR』でもう一つ驚いたのが、当時のNBAではバスケットシューズの色彩などにも規定があり、違反すれば罰金の対象になったことです。

スポーツに興味のない私からすると、

「靴の色まで決められているのか」

という話です。

ところがメーカー側からすれば、こうした問題さえ宣伝材料になってしまう。

規定に引っかかるほど目立つシューズなら、その罰金をメーカー側が負担してでも履かせる。

普通ならマイナスになるはずの罰則まで、話題性に変えてしまう。

これも商売人のしたたかさでしょう。

ルール違反そのものが目的なのではなく、そこから生まれる話題まで商品価値に変えてしまう。

そう考えると、『AIR』はバスケットボールの映画というより、人間が商品に意味を付けていく過程を描いた映画にも見えてきます。

「名前」を売るという発想

そして最も大きな発想が、ジョーダンに靴を履いてもらうだけではなく、彼の名前そのものをブランドにしてしまうことでした。

現在の私たちからすれば、「AIR JORDAN」という名前は当たり前のように存在しています。

しかし、その名前をスポーツ用品のブランドとして世界中に浸透させるためには、そこに至るまでの人間たちの泥臭い交渉があった。

バスケットボールを知らない私ですら、その名前を知っている。

そう考えると、この映画の結果がどれほど大きかったのか、スポーツを知らない人間にも逆に分かりやすいのです。

ジョーダンのプレーを知らなくても、ジョーダンという名前を知っている。

それこそが、ブランドを作った側にとっての成功だったのかもしれません。

人間は、くだらない経験からでも技術を身につける

『AIR』を見始めたとき、私は企業の成功物語だと思っていました。

しかし、見終わってみると印象に残ったのは、企業の成功そのものではありません。

スポーツとは無縁そうな人間たちが、一人のスター選手を何とか口説こうとして、頭を抱えながら、あの手この手を繰り出している姿でした。

そして、それを見ているうちに、酒場の常連のおっさんまで思い出してしまった。

もちろん、ナイキの営業マンと酒場のおっさんを同じにするつもりはありません。

ただ、どちらにも、

「相手を見ながら、何度も試してみることで身につく技術」

というものがあります。

人間は、必ずしも立派な教育や訓練だけから技術を身につけるわけではない。

何度も失敗した営業経験。

何年も通った酒場。

何度も繰り返した会話。

一見すると、くだらない経験の積み重ねに見えるものが、いつの間にか本人だけの武器になっていることがあります。

ナイキの社員たちは、ジョーダンのように華麗なプレーをすることはできない。

しかし、彼らには彼らの実戦経験があった。

その「口先の技術」と執念が、一人の選手の名前を世界的なブランドへと変えていった。

人間というのは、案外そういうものなのかもしれません。

もっとも、酒場の常連のおっさんの場合は、何十年通って話術を磨いたところで、

「また来たの?」

と言われて終わることもあります。

それでも本人は、

「今日はちょっと脈があったな」

などと考えながら、また次の週も同じ店へ向かう。

そう考えると、ナイキの営業マンと酒場のおっさんの違いは、成功したかどうかだけなのかもしれません。


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