第3話 文明は人間を怠け者にしたのか──道具が身体の代わりになるまで

人間は、昔から「楽をしたがる生き物」だった。

重いものを持ちたくない。 遠くまで歩きたくない。 硬いものを素手で壊したくない。 暑い場所では涼しく過ごしたいし、寒い場所では暖かく暮らしたい。

こう書いてしまうと、なんとも怠け者に見える。

しかし、よく考えてみると、この「面倒くさい」という感覚こそが、人間の文明を発展させてきた原動力だったのかもしれない。

「どうすれば、もっと楽にできるのか」

その疑問から、人間は道具を作ってきた。

そして道具は、少しずつ人間の身体の代わりをするようになった。

石を握ったところから始まった

人間が道具を使うようになったことで、身体だけではできなかったことが可能になった。

石を握れば、素手よりも硬いものを叩くことができる。

棒を使えば、手の届かない場所へ力を伝えることができる。

刃物があれば、手では切れないものを切ることができる。

つまり道具とは、人間の身体を拡張するものだった。

腕を長くする。

手を強くする。

爪を鋭くする。

身体そのものを改造しなくても、道具を持てば人間の能力を一時的に変えることができる。

これは考えてみれば、かなり不思議なことだ。

人間は自分の身体を進化させるだけではなく、身体の外側に「もう一つの身体」を作ってしまったのである。

「楽をする」は、必ずしも悪いことではない

現代では、便利になりすぎた生活を見て、

「昔の人間はもっと身体を使っていた」

「今の人間は運動不足だ」

「便利になって人間は怠け者になった」

という話を聞くことがある。

確かに、昔なら自分でやっていた作業を、現在では機械が代わりにやってくれる。

洗濯機が洗濯をする。

掃除機が床を掃除する。

自動車が人間を遠くまで運ぶ。

フォークリフトが重い荷物を持ち上げる。

重機が人間なら何時間もかかる作業を、短時間で終わらせる。

便利になった結果、人間が使わなくなった筋肉もたくさんある。

しかし、それを単純に「人間が怠け者になった」と考えるのも少し違う気がする。

もし人間が、昔と同じようにすべての作業を自分の身体だけで行っていたら、現代社会そのものが成立しない。

巨大な建物を建てる。

道路を造る。

大量の荷物を運ぶ。

深い穴を掘る。

山を切り開く。

こうした仕事を、人間の腕力だけでやろうとすれば、時間も人手も途方もなく必要になる。

だから人間は機械を作った。

「自分がやらなくてもいい仕事」を機械に任せることで、別のことができるようになったのである。

山男が教えてくれる「身体の限界」

前回の山男の家づくりを考えてみても、このことがよく分かる。

木を切る。

木材を運ぶ。

柱を立てる。

屋根を組む。

一つ一つの作業は、人間の身体でもできる。

しかし、それをすべて自分の力でやろうとすれば、当然ながら大変な労力が必要になる。

チェーンソーを使えば木を切る時間は短くなる。

ウインチを使えば重いものを持ち上げられる。

クレーンを使えば、人間の腕力では到底動かせないものまで動かせる。

つまり、山男の家づくりを見ていると、逆説的に「道具がなかったら人間はどれほど大変なのか」ということまで見えてくる。

人力で家を建てることには、確かに自由がある。

自分の好きな場所で、自分の好きな方法で、自分の手を使って作ることができる。

しかし、その自由には代償もある。

時間がかかる。

疲れる。

怪我をする危険もある。

そして、一人でできることには限界がある。

だから人間は道具を作った。

便利だからではない。

自分の身体だけでは届かない場所へ、手を伸ばすために。

道具はやがて「身体」そのものを代わり始めた

最初の道具は、人間の力を補助するものだった。

ところが文明が進むにつれて、その関係は少しずつ変わっていく。

人間が道具を使う。

道具が人間の力を増幅する。

機械が人間の代わりに動く。

さらに機械が、人間の判断まで補助する。

この変化は、重機を見ると分かりやすい。

昔なら何人もの人間がスコップを持って掘っていた場所を、現在では一台のショベルカーが掘る。

人間が持ち上げられない重量物を、クレーンが持ち上げる。

大量の土砂を、人間が何往復もして運ぶ代わりにダンプカーが運ぶ。

人間の身体は、いつの間にか機械の操作をする側へ回っている。

かつては「身体を使って仕事をする」ことが仕事だった。

今では「機械に身体の仕事をさせる」ことが仕事になっている。

これは、人間が怠け者になったというより、人間が自分の身体の限界を認めた結果なのかもしれない。

では、AIは何を代わりにするのか

ここまでなら、昔から続いてきた文明の延長線上にある。

ところが、最近になって少し様子が変わってきた。

これまでは機械が主に「身体」の代わりをしてきた。

しかし、AIはそこからさらに一歩進んで、判断の一部まで機械に任せようとしている。

これは非常に興味深い。

人間の腕力を機械が補う。

人間の移動を自動車が補う。

人間の計算をコンピューターが補う。

そして今度は、人間の判断をAIが補助する。

そう考えると、AIは突然現れた異質な存在というより、長い文明の流れの先にあるものにも見えてくる。

人間は昔から、自分ではできないことを何かに任せてきた。

石器から始まり、農具が生まれ、蒸気機関が生まれ、エンジンが生まれ、コンピューターが生まれた。

その延長線上にAIがあると考えれば、現在起きている変化も少し違って見えてくる。

「何もしない人間」になったわけではない

ただし、ここには一つ面白い矛盾がある。

機械が身体の仕事を代わりにやってくれるようになると、人間は別の仕事をする必要が出てくる。

肉体労働が減れば、管理する仕事が増える。

計算を機械に任せれば、何を計算するべきなのかを考える必要がある。

重機が土を掘ってくれるなら、どこを掘るのかを決めなければならない。

つまり、人間は「何もしなくなった」のではない。

人間がやる仕事の場所が変わったのである。

だから便利な道具を使うことを、単純に「怠け」と呼ぶことはできない。

むしろ人間は、面倒な仕事を機械に任せることで、自分にしかできない仕事を探してきたとも言える。

それでも人間は、なぜ自分でやりたがるのか

ここで第1話に戻ってくる。

人間は、便利な道具を手に入れても、なぜか自分でやりたがる。

家具を自分で作る。

料理を自分で作る。

畑を耕す。

家を修理する。

古い道具を直して使う。

買えば済むものを、わざわざ時間をかけて作る。

効率だけを考えれば、確かに無駄である。

しかし、その「無駄」の中には、人間が便利な文明から失いかけている感覚がある。

手で触れる。

重さを感じる。

失敗する。

やり直す。

少しずつ上達する。

完成したものを見て、「自分で作った」と思う。

機械に任せれば数分で終わることを、何時間もかけてやる。

その時間そのものを楽しむ。

どうやら人間は、完全に楽をしたい生き物でもないらしい。

楽をしたい一方で、自分の手を使いたい。

この矛盾が、なんとも人間らしい。

文明は人間を怠け者にしたのか

結局のところ、文明が人間を怠け者にしたのかどうかは、簡単には答えられない。

確かに、便利な道具によって人間が使わなくなった身体能力はある。

しかし、その代わりに人間は、身体だけではできなかったことを実現してきた。

道具は人間を弱くしたのかもしれない。

同時に、人間を強くもした。

重機は人間より強い。

自動車は人間より速い。

コンピューターは人間より大量の計算ができる。

そしてAIは、人間とは違う方法で大量の情報を処理する。

それでも、それらを作ったのは人間である。

人間は自分の身体の限界を超えるために、身体の外側へ「力」を作ってきた。

だから文明とは、人間が怠けるための仕組みというより、

「自分にはできないこと」を可能にするための仕組み

だったのではないだろうか。

便利になった先で、人間に残るもの

しかし、便利になればなるほど、新しい問題も出てくる。

身体の仕事を機械に任せた先で、今度は判断まで機械に任せるようになったら、人間には何が残るのだろう。

これは、これからの社会で避けて通れない問題になる。

ただ、私はそれを悲観的に考える必要もないと思っている。

人間はこれまでも、道具によって自分の能力を変えてきた。

石器を持った人間は、石器を持たない人間とは違う生き物のように行動できた。

自動車を持った人間は、徒歩の人間より遠くへ行ける。

重機を持った人間は、自分の腕力では動かせないものを動かせる。

そしてAIを持った人間は、自分一人では処理できない情報を扱えるようになる。

問題は、道具を使うことそのものではない。

「何を道具に任せ、何を自分で残すのか」

そこに、人間自身の選択があるのだと思う。

便利な文明を否定する必要はない。

山男のように、すべてを人力でやる必要もない。

機械を使えばいい。

AIも使えばいい。

ただ、ときどき自分の手で何かを作ってみる。

自分の身体でやってみる。

失敗してみる。

そして、機械に任せることと、自分でやることの違いを知っておく。

もしかすると、そのくらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。

人間は、楽をするために道具を作った。

けれど、楽になったあとでも、なぜか自分でやりたがる。

その「無駄に凝る」という妙な性質こそ、文明をここまで発展させてきた人間の、少し面倒くさくて、少し面白いところなのかもしれない。


次の記事

人間は、身体の限界を超えるために道具を作り、やがて自分よりはるかに大きな力を持つ機械まで生み出した。

その代表ともいえるのが、建設現場で働く重機だ。

かつては人間が身体を使って行っていた「掘る」「持ち上げる」「運ぶ」という仕事を、重機が代わりに引き受けている。

そして現在、その重機にもAIが搭載され始めている。

人間の腕力を代わりにするだけだった機械が、今度は人間の経験や判断まで補助する。

では、そんな重機と人間の関係は、これからどう変わっていくのだろうか。

次の記事では、山男の家づくりから始まった「人間と道具」の話を、AI重機という未来へつなげてみたい。

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