路地裏の狭い酒場で飲む──カウンター越しに届く酒と肴

人の記憶

CS放送の「さとのか4K」で、『酒の道しるべ』という番組を流し見していた。

東京・恵比寿周辺の飲み屋街を歩きながら、路地裏の酒場を訪ね、酒を飲む番組である。

撮影は昼間だった。

だから、夜の酒場らしい喧騒はない。

それでも画面に映る狭い路地を眺めていると、なんとなく夜の景色まで想像できてしまう。

恵比寿といえば、やはりヱビスビールである。

かつてこの地にはビール工場があり、ビールの名前が駅名や街の名前にもつながっていった。

現在の恵比寿は、お洒落な飲食店や高層ビルが並ぶ街になっているが、その一方で、路地裏には昔ながらの飲み屋街らしい風景も残っている。

番組を見ていて面白かったのは、その路地の狭さだった。

大通りから一本入ると、車がすれ違うのも難しそうな道が現れる。

さらに奥へ進むと、そこに小さな酒場がある。

こういう場所を見ると、私は昼間の風景よりも、その数時間後の姿を想像してしまう。

日が暮れれば店先に明かりが灯り、暖簾が下がる。

仕事帰りの人間が一人、また一人と路地へ入り、その小さな店へ吸い込まれていく。

昼間はただの狭い路地だった場所が、夜には酒場へ向かう人間の道になる。

酒場巡りには、そんな「夜を想像する楽しみ」もあるのだと思う。

狭い酒場のほうが落ち着く

私は酒を飲むなら、大きな店よりも、こじんまりとした狭い店のほうが落ち着く。

カウンターだけで数席しかないような店である。

大勢で賑やかに飲むのも悪くない。

しかし、一人で飲むときには、店が広すぎるとどうも落ち着かない。

狭い店には、狭い店なりの距離感がある。

店主との距離が近い。

隣の客との距離も近い。

それでも、必ず会話をしなければならないわけではない。

黙って酒を飲んでいてもいい。

隣の客の話し声を何となく聞きながら、自分は自分の酒を飲む。

その程度の距離感が、ちょうどいい。

考えてみれば、酒場という場所は不思議である。

人間同士が集まる場所なのに、必ずしも親しくならなくていい。

一緒の空間にいながら、それぞれが自分の時間を過ごせる。

そのための境界線が、カウンターなのかもしれない。

近い。

しかし、近すぎない。

話しかけようと思えば話しかけられる。

けれど、黙って飲んでいても誰にも責められない。

私は、そんな距離感が好きなのだと思う。

カウンター越しに届く酒と肴

そして、狭い酒場で私が好きなのが、カウンター越しに酒や肴が出てくる時間である。

酒を注文する。

店主がグラスや徳利を用意する。

肴を小さな器に盛る。

そして、それがカウンターの向こう側から、自分の目の前へ置かれる。

コトッ。

器がカウンターに触れる音がする。

私は、この瞬間が好きだ。

まだ酒を口にしていなくても、もう酒場の時間は始まっている。

大きな店なら、料理が厨房から運ばれてきて、テーブルに置かれる。

それはそれで普通の光景である。

けれど、カウンターの店では、酒や肴が自分の目の前に現れるまでの動作を見ることができる。

酒を注ぐ。

肴を盛る。

器を持つ。

そして、こちらへ差し出す。

その一連の動作まで含めて、私は酒を楽しんでいるのだと思う。

器を見るのも好きである。

少し年季の入った小鉢。

どこか渋い皿。

長年使われてきた徳利。

高価な器でなくてもいい。

その店で何年も使われてきた器には、それだけで酒場の時間が染み込んでいるように見える。

酒そのものだけではない。

酒が出てくるまでの時間。

肴が目の前に置かれる瞬間。

器の音。

店主の手元。

それら全部が酒場の風景なのだ。

だから私は、酒場では酒を口にする前から、すでに飲み始めているのかもしれない。

酒場は広さでは決まらない

そう考えると、酒場に必要なのは、それほど大きな空間ではないのかもしれない。

酒を置く場所がある。

肴を置く場所がある。

人間が座る場所がある。

そして、その間にカウンターが一本ある。

それだけで酒場になる。

むしろ、狭いからこそ生まれる空気がある。

店主の手元が見える。

隣の客の気配が分かる。

酒を置く音が聞こえる。

料理の匂いがする。

誰かがグラスを置く。

小さな空間だからこそ、そうした些細な出来事が妙に鮮明になる。

恵比寿の路地裏を歩く『酒の道しるべ』を眺めながら、そんなことを考えていた。

昼間に見る路地は静かだった。

けれど、夜になれば、あの狭い道の先に明かりが灯る。

暖簾をくぐれば、数人しか座れないカウンターがある。

そこで一人、酒を注文する。

しばらくすると、カウンター越しに酒と肴が置かれる。

その瞬間から、その店の夜が始まる。

そんな酒場の時間が、私は好きなのだ。

ただし、我が家の猫酒場には距離がない

もっとも、家に帰れば話は変わる。

我が家には、もう一軒の酒場がある。

猫酒場である。

こちらの酒場には、カウンターがない。

いや、正確にはカウンターがあったとしても、猫たちが認めてくれない。

人間の酒場では、カウンター一枚がちょうどいい境界線になる。

ところが猫酒場では、その境界線を猫のほうから平然と越えてくる。

特にキジネコの徐倫は、こちらが酒を飲んでいると、やたらと顔を近づけてくる。

近づけるというより、顔が密着する寸前まで来る。

「近い、近い……」

そう思いながら、私はグラスを少し遠ざける。

すると徐倫も、その分だけ近づいてくる。

グラスを遠ざける。

徐倫が近づく。

また遠ざける。

また近づく。

どうやら彼には、酒場における「適切な距離」という概念がないらしい。

人間の酒場なら、

「ここから先は店主の領域」

「ここから先は客の領域」

という境界線がある。

しかし猫酒場では、そんなものは存在しない。

酒を飲んでいる人間がいれば、

「そこに何かある」

という理由だけで、猫が参加してくる。

それが酒なのか、肴なのか、人間なのか。

そんなことは猫には関係ない。

興味があるものには、とりあえず顔を近づける。

私はグラスを遠ざけながら、

「近い、近い……」

と繰り返す。

そして徐倫は、その言葉を聞いているのかいないのか、さらに近づいてくる。

人間の酒場では、カウンター一枚が人間同士の距離を保ってくれる。

我が家の猫酒場では、そのカウンターそのものが必要ない。

なにしろ、猫のほうから境界線を消しに来るのだから。

酒場では、近すぎない距離が心地いい。

けれど猫との暮らしでは、その距離感すら猫に決められてしまう。

狭い酒場のカウンター越しに酒と肴が届く時間を愛する私が、家では猫に顔を寄せられながらグラスを遠ざけている。

どうやら私にとって酒場とは、

「人間とは適度な距離を保ち、猫とは距離を保てない場所」

なのかもしれない。


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酒場には、酒と肴だけではなく、人間同士のちょうどいい距離がある。
けれど、その距離を猫に壊されながら飲むのも、我が家では日常になっている。
そう考えると、酒を飲む場所には、その人間の暮らしまで映り込んでいるのかもしれない。

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