時計より腹時計──夜型人間と猫の時間は、少し違う

人の記憶

昨夜のことである。

深夜帯、私は酒を飲みながら、深夜番組を眺めていた。

真剣に番組を見ているわけでもない。酒を飲みながら、テレビから流れてくるものを何となく眺めている。

私にとっては、いつもの夜である。

そんなところへ、一階から同居人が上がってきた。

「先ほど与えた猫餌、全部下で吐かれたんだけど……」

どうやら、先ほど餌をもらった猫の一匹が、食べたものを全部吐き戻したらしい。

そして翌朝。

同居人から、改めて念を押された。

「猫餌、昼過ぎまであげないでよ!」

私はまだ眠気が抜けていなかったので、

「うん……」

と、適当に相づちを打った。

果たして、本当に理解していたのかどうかは怪しい。

そもそも私自身に、朝食・昼食・夕食という明確な概念があまりない。

腹が減れば食べる。

眠くなれば寝る。

夜中に酒を飲むこともあれば、午前中になってようやく眠りにつくこともある。

だから私にとって、午前10時という時刻は、それほど特別な意味を持たない。

世間一般では「もう朝食を済ませ、そろそろ昼食を考える時間」なのかもしれない。

しかし私にとっては、

「まだ眠い時間」

なのである。

そして、どうやら猫たちも似たような感覚で生きている。

午前10時頃になると、猫たちが次々と二階へ上がってきた。

どうやら腹が減ったらしい。

昨夜、一匹が餌を吐いた。

その結果、他の猫たちまで朝飯を抜かれている。

猫たちからすれば、とんだ連帯責任である。

「俺は吐いていないぞ」

と言いたい猫もいるだろう。

しかし、人間のように事情を説明することはできない。

できることといえば、腹が減ったことを鳴き声で訴えるくらいである。

特に徐倫は、鳴きながら騒ぎ立てる。

その姿を見ていると、

「俺は何もしていないのに、なぜ飯が出てこないんだ」

と抗議しているようにも見える。

しかし私は眠い。

猫がいくら騒いでも、眠気のほうが強い。

結局、そのまま眠り続けた。

起き出したのは、11時前だった。

さすがに少し不憫になった。

私は『酒の道しるべ』を眺めながら自分の朝食を取り、そのついでに猫たちにも少し早めに餌を与えた。

同居人からは「昼過ぎまであげないで」と言われていたので、厳密にいえば約束を破ったことになる。

これが吉と出るか蛇と出るかは分からない。

また吐かれれば、

「だから昼過ぎまであげないでって言ったでしょ」

という話になる可能性も十分にある。

しかし、腹を空かせた猫たちが何度も二階へ上がってくるのを見ていると、どうにも気の毒になってしまう。

もっとも、今回の出来事を考えているうちに、私は別のことにも気づいた。

どうも私と猫たちは、時間の感覚が少し違うらしい。

昼間を中心に生活している人間なら、

朝になれば起きる。

朝になれば朝食を食べる。

昼になれば昼食を食べる。

夜になれば夕食を食べて眠る。

そんな具合に、時計と生活が結びついている。

しかし、夜型の人間にとっては必ずしもそうではない。

深夜に起きていて、朝方に眠る。

昼前に起きれば、そこから一日が始まる。

午前11時であっても、自分にとっては「朝」なのだ。

そして猫に至っては、もっと単純である。

猫にとって重要なのは、

「午前10時だから朝食」

ではない。

「腹が減ったから飯」

なのである。

時計の針が何時を指していようが、腹が減れば鳴く。

眠くなれば寝る。

起きれば、また飯を要求する。

猫にとって「朝食」という言葉は、人間が勝手につけた名前なのかもしれない。

そう考えると、徐倫の抗議も分からなくはない。

午前10時だから飯を要求しているのではない。

腹が減っているから要求している。

私が眠いことなど、徐倫には関係がない。

私にとっては「まだ寝ていたい時間」。

徐倫にとっては「もう腹が減って仕方がない時間」。

同じ家の中にいて、同じ時計を見ているわけでもないのに、それぞれの時間が流れている。

人間は時計によって生活を区切る。

猫は腹時計によって生活を区切る。

そして私は、その中間あたりをふらふらしている。

そもそも私自身が、朝食・昼食・夕食という区切りをあまり意識せずに生活しているのだから、猫の餌の時間まで曖昧になってしまうのも無理はない。

いや、無理があるのかもしれない。

猫には猫の腹時計がある。

私には私の生活リズムがある。

そこへ同居人の「昼過ぎまで餌をあげるな」という人間社会の時計が入ってくる。

こうして我が家では、三種類の時間がぶつかることになる。

時計で時間を管理する人。

眠気と生活リズムで時間を感じる人。

そして、腹時計で時間を測る猫。

今回の騒動は、そんな三者の時間感覚が、たまたま衝突しただけなのかもしれない。

それにしても、一匹の猫が餌を吐いたことで、何もしていない猫まで朝飯を抜かれる。

人間社会なら「連帯責任」と呼ばれるところだが、猫たちにはそんな制度を理解する理由もない。

彼らにしてみれば、

「吐いたのは俺じゃない。だから飯をくれ」

という、それだけの話なのだろう。

結局、私が11時前に起きて猫たちへ餌を与えたことで、今回の騒動はいったん収まった。

これが吉となるか蛇となるかは、猫たちの胃袋と運次第である。

そして何より、その運を左右している私自身の時間管理が曖昧なのだから、猫たちばかりを責めるわけにもいかない。

時計を見る人間と、腹時計を見る猫。

同じ屋根の下で暮らしていても、どうやら時間の流れ方は同じではないらしい。

ただ、夜が深くなるほど元気になり、朝になってもなかなか眠らず、腹が減れば時間など構わず騒ぎ出す。

そう考えると、少なくとも我が家では、夜型思考という点において、人間と猫は妙に気が合っているのである。


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猫と人間では、時計の見方だけでなく、家の中での居場所や過ごし方も少し違う。
眠くなれば寝て、腹が減れば騒ぎ、気が向けば階を移動する。そんな猫たちを眺めていると、家とは人間だけが使う場所ではないのだと気づかされる。
次は、そんな猫たちが我が家をどのように使い分けているのかを、少し覗いてみたい。

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