ヒストリーチャンネルで放送されている『ザ山男』や『ザ鍛冶男』を見ていると、不思議に思うことがあります。
彼らは生活のために必要最低限のものを作っているはずなのに、いつしか必要以上に手間をかけ始めます。
もっと簡単な方法があるにもかかわらず、昔ながらの技法を調べ、道具を作り直し、細部までこだわる。
「そこまでしなくても使えるだろう。」
そう思いながら見ているうちに、ふと気付くのです。
人間は、便利さだけを求める生き物ではないのだと。
こだわりは自然に生まれる
ものづくりを始めた人なら、一度は経験があるのではないでしょうか。
最初は「形になればいい」と思っていたものが、完成に近づくにつれて気になる部分が増えてきます。
「ここをもう少し美しくしたい。」 「木目を生かしたい。」 「本物と同じ製法で作れないだろうか。」
誰かに命令されたわけではありません。
自分自身が納得したくなるのです。
その積み重ねが、やがて「職人」と呼ばれる人たちを生み出してきたのでしょう。
刀は武器ではなく、技術の結晶になった
現代では刀を腰に差して歩く人はいません。
それでも日本刀は作られ続けています。
海外でも、日本刀の製法を研究し、玉鋼や焼き入れ、刃文まで再現しようとする鍛冶職人の動画を見かけます。
彼らは単に日本文化が好きだから作っているわけではありません。
「なぜ、この技術が生まれたのか。」
その答えを、自分の手で確かめたいのでしょう。
完成品だけではなく、作る過程そのものに価値を見いだしているのです。
手を動かすことは、頭を動かすこと
ものづくりをしていると、頭は休んでいません。
寸法を測り、材料を選び、失敗を修正し、次はもっと良い方法はないかと考え続けます。
手は動いていますが、脳も休む暇なく働いています。
だからこそ、こうした趣味を持つ人は年齢を重ねても新しいことを学び続けるのでしょう。
認知症を完全に防げるとは言えません。
しかし、考え、工夫し、挑戦する時間は、脳にとって良い刺激になるはずです。
完成品より、夢中になれる時間
私は、ものづくりの本当の価値は完成品だけではないと思っています。
「ああでもない、こうでもない。」
そう言いながら試行錯誤している時間こそが、一番楽しい。
便利さだけを追い求める現代だからこそ、あえて時間をかけ、遠回りをする。
その遠回りが、人間らしさなのかもしれません。
私たちは完成した作品だけを見て「すごい」と感じます。
しかし、本当に価値があるのは、その作品を生み出すまでに積み重ねられた数え切れない工夫と失敗、そして「もう少し良くしたい」という終わりのない探究心ではないでしょうか。
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人間は、便利な道具を手に入れるほど楽になってきた。
それなのに、世の中には「わざわざ自分でやる」ことをやめない人たちがいる。
機械を使えば早い。業者に頼めば簡単だ。店で買えば済む。
それでも、自分で木を切り、自分で運び、自分で組み立てる。
傍から見れば、ずいぶんと効率の悪い生き方である。
しかし、その「効率の悪さ」の中にこそ、人間が便利な文明によって手放してきたものが隠れているのかもしれない。
次回は、そんな人間の「自分でやりたい」という妙な性質を、山の中で家を建てる「山男」の暮らしから考えてみたい。



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