私たちは一日の中で、「お疲れさま」という言葉を何度口にしているだろう。
仕事を終えたとき、誰かと別れるとき、電話を切るとき、メールの冒頭や締めくくりにも使われる。
考えてみれば、不思議な言葉である。
本来なら「疲れましたね」という相手の状態を気遣う言葉のはずだが、実際には相手が疲れているかどうかなど、ほとんど関係なく使われている。
朝一番に会社で顔を合わせても「お疲れさま」。
まだ何もしていないのに、「疲れた」という前提で会話が始まる。
外国の人が初めて耳にしたら、不思議に思うかもしれない。
しかし、日本人にとって「お疲れさま」は、疲労をねぎらう言葉というよりも、人間関係を滑らかにするための合図になっている。
「こんにちは」ほど距離が遠くなく、「ありがとう」ほど理由を必要としない。
「さようなら」のように別れを強く意識させることもない。
その中間にある、実に都合の良い言葉なのである。
私は以前、「帰って来ます」という愛媛の言葉について考えたことがある。
そこには、「今日はここまでですが、また会いましょう」という時間の余白が含まれているように感じていた。
「お疲れさま」にも、どこか似たところがある。
言葉そのものの意味よりも、その場の空気を整える役割の方が大きい。
会話を始めるにも、終えるにも使える。
感謝にもなれば、労いにもなる。
相手との距離を測りながら、角を立てずに言葉を交わせる。
だからこそ、日本中でこれほど広く使われるようになったのだろう。
日本語には、このように意味だけでは説明できない言葉が少なくない。
「よろしくお願いします」。
「失礼します」。
「すみません」。
どれも辞書を引けば意味は書かれている。
しかし、実際には意味以上の働きをしている。
言葉は、情報を伝えるためだけにあるのではない。
人と人との間に生まれる空気を整え、関係を円滑にするためにも存在している。
だから日本語は、ときに曖昧で、ときに遠回しで、ときに外国の人には理解しづらい。
それでも、その曖昧さが人間関係を支えている場面は少なくない。
「お疲れさま」という何気ない一言は、その象徴なのかもしれない。
疲れをねぎらう言葉でありながら、それだけでは終わらない。
相手との距離を縮め、場の空気を和らげ、会話を始めることも終えることもできる。
便利だから使われ続けたのではない。
人と人との関係を壊さないよう、日本人が長い時間をかけて育ててきた言葉だからこそ、これほど便利になったのではないだろうか。
次の記事
「お疲れさま」という一言は、疲れをねぎらう以上に、人と人との距離をやわらかくつなぐ役割を担っていました。そして、日本語には同じように、意味を一言では説明できない言葉がまだ数多くあります。その中でも、私たちが最も自然に使いながら、実は何をお願いしているのか考えたことの少ない言葉――次は「よろしくお願いします」という不思議な一言について考えてみたいと思います。



コメント