「猫は気まぐれだ。」
昔からそう言われる。
呼んでも来ないのに、仕事を始めた途端に膝へ乗ってくる。
こちらが遊ぼうと誘っても知らん顔をしているくせに、読書を始めると本の上に座る。
犬のように「いつでも遊んでください」という性格ではない。
だから猫は気まぐれなのだと思われがちである。
しかし、長年猫たちと暮らしてきた私には、少し違って見える。
彼らは気まぐれなのではない。
自分のタイミングを、とても大切にしているだけなのだ。
我が家にも、それぞれ甘え方の違う猫たちがいる。
夜明け前の静かな時間になると、ふらりと二階へやって来るコリン。
何かを求めているようで、実は特に何も求めていない。
部屋をひと回りすると満足したように横になり、私が近づいても知らん顔をしている。
ところが、私が椅子へ腰掛けて本を読み始める頃になると、いつの間にか足元へやって来る。
こちらが呼んだからではない。
コリン自身が「今ならいい」と思ったからである。
月丸も同じだ。
甘えたい時は、自分から頭を擦り寄せてくる。
しかし、それ以外の時間は自分だけの居場所で静かに過ごしている。
誰かに構われたいわけではない。
安心できる距離を、自分で決めているのだ。
一方で徐倫は少し違う。
月丸を見つければ近づき、隣へ座り、段ボールハウスの中にまで入ろうとする。
彼に悪気はない。
ただ、「一緒にいたい」という気持ちが先へ出てしまう。
その結果、「シャー!」と叱られてしまうのである。
猫たちを見ていると、甘えることと依存することは違うのだと気づかされる。
甘えるのは、自分が安心したい時。
依存するのは、相手の都合より自分の気持ちを優先してしまうこと。
猫は、その境界線を驚くほど上手に引いている。
だからこそ、自分のタイミング以外では甘えない。
それは冷たいからでも、気まぐれだからでもない。
相手との心地よい距離を知っているからである。
考えてみれば、人間はその距離を見失うことが少なくない。
相手が忙しくても話しかけ、自分が寂しい時だけ連絡をし、返事が遅いだけで不安になる。
相手にも時間があり、気分があり、一人になりたい時があることを忘れてしまう。
その点、猫は実に正直だ。
甘えたい時には素直に近づき、そうでない時は静かに離れている。
だからこそ、その一歩がうれしい。
自分から膝へ乗ってきた日には、「今日は甘えたい気分なんだな」と自然に受け止められる。
無理に抱き寄せなくても、追いかけ回さなくても、猫は自分で戻ってくる。
信頼とは、相手を縛ることではない。
「帰ってくる場所がある」と知っている安心感なのだろう。
猫たちと暮らしていると、そんな当たり前のことを何度も教えられる。
今日も彼らは、自分だけのタイミングで部屋へやって来て、自分だけのタイミングで甘え、そして何事もなかったように去っていく。
その自由さを眺めながら、私は思う。
もしかすると「気まぐれ」なのは猫ではなく、自分の都合だけで相手との距離を決めたがる人間のほうなのかもしれない。
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猫たちは、自分のタイミングで近づき、自分のタイミングで離れていきます。
その自由な姿を見ていると、「猫は気まぐれだ」と思われがちな理由も、少し違って見えてきます。
では、そんな猫たちは、一緒に暮らす仲間のことをどのように見ているのでしょうか。
次の記事では、猫同士の関係から見えてきた「信頼」と「距離感」の不思議について綴ってみたいと思います。
空気を読む猫、読まない猫──それぞれの個性が教えてくれること



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