季節は、カレンダーではなく「身体」が教えてくれる
以前の我が家には、一つの決まりがあった。
「クーラーをつけてもいいのは七月から。」
六月の終わりまでは扇風機だけで過ごし、じっとりとした湿気に耐えながら、本当の夏が来るのを待つ。
それが毎年の習慣だった。
けれど今年は、その決まりを少しだけ変えた。
毎年悩まされる肌荒れとかゆみを少しでも抑えるため、六月の初めからエアコンを使い始めたのである。
身体のことを考えれば、その判断は間違っていなかった。
おかげで例年より症状は落ち着き、今年の夏は少しだけ穏やかに迎えられそうだ。
年齢を重ねるにつれ、人は季節に合わせるのではなく、身体に合わせて季節との付き合い方を変えていくのかもしれない。
夏になると思い出す、一杯の料理
エアコンの風が部屋をゆっくり冷やし始める頃になると、毎年思い出す料理がある。
やよい軒の「冷汁定食」である。
夏だけの限定メニュー。
それなのに私の中では、もはや「季節の知らせ」のような存在になっている。
今年も暑くなる。
そう思った瞬間、不思議とあの一杯が頭に浮かぶ。
冷たい料理は、身体だけではなく心も静める
冷汁は宮崎県に伝わる郷土料理だ。
冷えた味噌仕立ての汁に、焼いたサバ、きゅうり、豆腐、薬味を合わせ、ご飯へかけていただく。
初めて食べたときは、「冷たい味噌汁をご飯へかける」という発想に少し驚いた。
しかし一口食べると、その印象はすぐに変わった。
美味しい。
もちろんそれもある。
だが、それ以上に感じたのは、「身体が静かになっていく」という感覚だった。
暑さで火照った身体だけではなく、どこか気持ちまで落ち着いていく。
喉をすっと通り抜ける冷たさは、夏の重たい空気まで少しだけ軽くしてくれる。
愛媛にも似た料理がある
冷汁を食べるたび、私は愛媛の郷土料理「さつま汁」を思い出す。
どちらも味噌を使い、ご飯へかけて食べる料理。
しかし、その性格はまったく違う。
さつま汁は、鯛などの白身魚をすり身にし、味噌と合わせる。
濃厚で、ご飯へしっかり絡みつく力強い一杯である。
一方、宮崎の冷汁は実に軽やかだ。
焼いたサバをほぐしながら食べるため、魚の香ばしさを最後まで楽しめる。
同じような料理でも、その土地の気候や暮らしが違えば、味わいも自然と変わってくる。
郷土料理とは、その土地の風土を映す鏡なのだと改めて感じる。
身体は季節を覚えている
最近、私は「身体は季節を覚えているのではないか」と思うことがある。
春になれば山菜を食べたくなる。
秋になれば、いもたきが恋しくなる。
そして真夏になると、自然と冷汁のような喉越しの良い料理を求めてしまう。
頭で考えて選んでいるというより、身体そのものが季節に合う食べ物を思い出しているような感覚である。
だから郷土料理は、栄養だけでは説明できない。
その土地で暮らしてきた人々の身体が育ててきた文化なのかもしれない。
今年の夏も、冷汁が恋しくなる
今年は肌荒れ対策を早めたことで、例年より快適な夏を迎えられている。
それでも、本格的な猛暑はまだこれからだろう。
厳しい暑さの中では、食欲が落ちる日もある。
そんな日は、無理に食べようとするよりも、身体が受け入れてくれる料理を選びたい。
冷汁のように、喉越しが良く、それでいてしっかり身体を満たしてくれる一杯は、これからの季節には欠かせない存在になりそうだ。
おわりに
歳を重ねると、「食べたいもの」が少しずつ変わってくる。
それは味覚が変わったからではない。
身体が、季節との付き合い方を覚えていくからなのだろう。
以前は「七月までエアコンは我慢」と決めていた私も、今年は身体を優先することを選んだ。
暮らし方が変われば、食べたくなる料理も変わる。
しかし、夏になると冷汁を思い出す気持ちだけは変わらない。
今年もまた、あの一杯を口にしながら、「夏が始まったな」と静かに季節を受け入れていくのだと思う。
次の記事
季節が巡るたび、私たちは自然と同じ料理を思い出します。それは単なる習慣ではなく、その土地で暮らした時間や家族との記憶が、味とともに心に残っているからなのかもしれません。次の記事では、日向飯やいもたき、さつま飯を通して、郷土料理が時代を超えて受け継がれていく理由について考えてみます。



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