人間には乗りこなせないバイクを、遠くから眺める

人間と機械

先日、さとのか4Kで放送されていたモータースポーツ番組を流し見していたところ、「スーパーモト」という競技を目にした。

舗装路と未舗装路を組み合わせたコースを、オートバイで走り抜ける競技らしい。普段あまり見かけないジャンルだけに、なかなか興味深いものがあった。

人間というのは、どうも異なるものを組み合わせて競わせるのが好きらしい。トライアスロンもそうだが、それぞれに異なる能力が要求される競技には、単純な速さだけでは測れない面白さがある。

そんなことを考えているうちに、ふと、将来はAIロボットがオートバイに乗ってサーキットを走る時代が来るのではないか、という想像が浮かんできた。

人間の反射神経や身体能力には限界がある。しかし、機械ならばセンサーで路面状況を読み取り、姿勢や速度を計算しながら走ることもできるだろう。もちろん、実際にどこまで可能になるかは別の話だが、想像するだけでもなかなか面白い。

そこから連想したのが、映画『アリータ:バトル・エンジェル』である。

人間と機械の境界が曖昧になった世界では、身体の一部どころか、身体そのものを機械に置き換えることさえ珍しくない。あの世界なら、車輪と身体が一体化したような存在が、常識外れの速度で走り回っていても不思議ではない。

そんなことを考えているうちに、さらに古い記憶がよみがえった。

昔、週刊ヤングマガジンで読んだ『バイクメ〜ン』という漫画である。

主人公のボニーは、エルヴィス・プレスリーを思わせる風貌を持ち、トライアンフを連想させるカフェレーサー風のバイクと結びついた、実に破天荒なキャラクターだった。ロックの悪魔との契約という設定まで飛び出してくるのだから、普通のバイク漫画とはわけが違う。

人間の姿をしているかと思えば、バイクそのものにもなる。しかも、ガソリンを口から飲むという、こちらの常識では処理しきれない芸当まで披露する。

今になって考えてみても、いったい何をどうすれば、こんな発想にたどり着くのだろうか。

カフェレーサー風のクラシックバイクというだけでも、なかなか拘りとクセが強い。それが人間と一体化しているとなれば、もはや乗り手がバイクを操るという話ではない。人間と機械の境界線そのものが、どこかへ吹き飛んでしまっている。

こうなると、先ほど考えていたAIロボットによるレースともつながってくる。

人間が機械を操る。やがてAIが機械を操る。そして最後には、機械そのものが意思を持ち、人間には到底扱えない存在になる。

技術が進歩すれば、そんな未来も想像できるのかもしれない。

ただし、ここまで話を広げておいて何だが、私はボニーのような存在を自分で乗りこなしたいとは思わない。

あの破天荒さは、遙か遠いところから眺めているだけで充分なのである。

人間には扱いきれない機械が、常識外れの速度で走り回り、こちらの理解を超えたことを次々とやってのける。そういう存在が世の中にいてくれるのは面白い。しかし、それを自分の日常生活に持ち込むとなれば話は別だ。

こちらは安全な場所でコーヒーでも飲みながら、遠くを走り去っていく姿を眺めていればいい。

ボニーは悪魔と契約してまで無茶をする。こちらはそこまでの覚悟もなければ、必要もない。

人間が機械をどこまで操れるようになるのか。その先で機械がどこまで人間を超えていくのか。考え始めれば、いくらでも話は広がっていく。

しかし、どれだけ技術が進歩しても、すべてを自分で体験する必要はないだろう。

破天荒なものは、遠くから眺めているくらいがちょうどいい。

スーパーモトから始まった話が、いつの間にかAIと悪魔の契約にまで行き着いてしまった。

人間の想像力というものも、なかなか扱いにくい代物である。


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