ベア・グリルスの親指は、無事の合図か。それとも取れ高の合図か。

人の記憶

ディスカバリーチャンネルを流し見していると、ベア・グリルスという人物が、またしても自然界の厳しい環境に身を置いていた。

雪山では雪を掘って寝床を作り、硫黄臭の漂う場所では熱湯と冷水の境目を探して入浴する。食料が見つからなければ、尿で誘き出した虫まで口にする。

普通の人間なら、なるべく避けて通りたい状況ばかりである。

ところが、彼は違う。

危険な場所を見つけると、まるでそこに何か特別な価値があるかのように進んでいく。

視聴者にも読めてくる番組の展開

何度か番組を観ているうちに、こちらにも妙な習性が身についてきた。

「次は何をするのだろう」と考えるのではなく、「そろそろ、あれをやる頃ではないか」と予想するようになってしまったのである。

激流の谷底へ向かえば、わざわざ危険な場所を降りていくのだろう。

比較的安全な場所に到着しても、そこで落ち着くとは限らない。何かもう一つ、余計な危険を加えてくるのではないか。

そして、ようやく脱出の糸口が見えた頃には、あの親指を立てる仕草が登場する。

本人は「この道を選んで正解でした」とでも言いたげな表情をしている。

しかし、こちらには別の意味に見えてくる。

あれは生存確認ではない。

「よし、これは取れ高だ!」

そんな制作スタッフ向けの合図なのではないか。

もはやプロレスの試合展開を予想しながら観戦しているようなものである。

巨大な鯨より、飛行機の残骸

今回の旅も、最後まで独特だった。

海岸沿いを歩いていると、座礁して死んだ巨大な鯨の死骸を発見する。

これまで虫まで食べてきた彼なら、何か食料にするのではないかと思ったが、今回は素通りした。

さすがに巨大な鯨の死骸は、食材としての鮮度や安全性に問題がある。結果的には賢明な判断だったのだろう。

さらに進むと、今度は海岸に飛行機の残骸があった。

彼はその内部で火を起こし、煙を上げて救難信号の代わりとなる狼煙を作る。

何時間か煙を上げ続けた末、遠くの海岸に船のライトが見えてきた。

いよいよ救助が近づいてきたらしい。

ここまで来ると、視聴者としても一安心である。

ただし、これまでの行動を振り返ると、無事に救助されることよりも、そこへ至るまでにどれだけの見せ場を作るのかが気になってしまう。

サバイバル番組なのか、舞台興行なのか

もちろん、自然環境の中で生き延びるための知識や技術は大切だ。

雪の中で風を避ける方法、火を起こす方法、救難信号を送る方法。実際に役立つ知識も少なくない。

しかし、ベア・グリルスの番組を観ていると、いつの間にか別の楽しみ方を覚えてしまう。

次はどこへ向かうのか。

何を食べるのか。

どんな危険に自ら飛び込むのか。

そして、いつ親指を立てるのか。

あの親指は、本人にとっては「無事に切り抜けた」という意味なのだろう。

だが、こちらには「今回も無事に番組の取れ高を確保しました」という報告に見えてしまう。

プロレスには、観客が待ち望むお約束の展開がある。

ベア・グリルスにも、それに似た様式美があるのかもしれない。

ただし、プロレスのリングにはロープがあり、受け身を取るための訓練もある。自然界には台本も安全マットもない。

だからこそ、こちらは自宅の安全な場所から、生暖かく見守ることにする。

何しろ、わざわざ尿で虫を誘き出して食べる必要もなければ、雪山に穴を掘って眠る必要もない。

暖房の効いた部屋で、猫たちの様子を眺めながら番組を流し見する。

それが私にとっての、最も安全で快適なサバイバル術なのである。


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