二階に集まる猫たち――人間との距離感

人の記憶

私のいる二階には、よく猫がたむろしている。

もちろん、彼らにも目的はある。

餌か、おやつだ。

私がすぐに何かを出してくれる人間だということは、どうやらしっかり認識されているらしい。

ただ、それだけでもないような気がする。

どうもこの二階には、下の階の人間にはない安堵感があるらしい。

実際、私は猫たちにそれほど干渉しない。

二階にいるときは、ほぼキーボードの向きから動かない。

テレビもBGM代わりに、気まぐれに何かが流れているだけ。

人間はいる。

しかし、こちらから追いかけてくるわけでもない。

猫からすれば、これくらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。

「人間がいる安心感」と「人間に構われない自由」。

その両方がある。

猫にとっては、なかなか居心地のいい場所なのだろう。

そして、餌やりの時間になると、そこにはまた別の秩序が生まれる。

同じ椀に少量ずつ与えているのだが、誰が先に食べるのかには、どういうわけか順番がある。

まず巨漢の「のの」。

これはほぼ不動である。

その後に一(はじめ)、空(くう)、天(てん)と続く。

徐倫はというと、最初からやって来て騒いでいる。

「俺もいるぞ」とばかりに存在を主張する。

ところが、実際に食べるのは中盤だったりする。

声の大きさと食事の順番は、どうも別問題らしい。

最近では、その徐倫も若手に締められる姿が目立つようになった。

かつては、ずいぶんと威勢のいい猫だったのだが、その虚勢も最近ではすっかり陰を潜めている。

以前、同居人がそんな徐倫の姿を真似していた。

「のの」に一撃で秒殺された徐倫を再現したのである。

「う……うげぇぇぇ………」

それはそれは苦しそうな声だった。

私はそれを見ながら、ふと思った。

これ、幼稚園のお遊戯会などで使うような猫の顔をしたかぶり物を額につけて演じてもらったら、かなり面白いのではないか。

のの役が巨漢。

徐倫役が、例の「う……うげぇぇぇ………」である。

酒を飲みながら見るには、ちょうどいい。

猫たちは二階で静かにくつろいでいる。

私はキーボードを叩いている。

テレビが勝手にしゃべっている。

その横で、猫社会の序列だけが淡々と動いている。

人間が猫を飼っているというより、

猫たちが「ここなら人間があまり動かない」と判断して、勝手に二階を休憩所にしている。

そんな感じなのかもしれない。

そして私は今日も、猫たちのために動く給餌係として、キーボードの前からほとんど動かない。

それくらいの距離が、案外いちばん平和なのである。


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