夢の中のあの人は、本当にあの人なのか──『ドリーム・シナリオ』が笑えない理由

映画から考える社会

明け方近く、ムービープラスで『ドリーム・シナリオ』を流し見していた。

ニコラス・ケイジ演じる大学教授が、なぜか世界中の人々の夢に現れる。最初は単なる珍現象として注目されるのだが、やがて夢の中で彼が嫌な振る舞いをするようになり、人々から毛嫌いされていく。

考えてみれば、かなり理不尽な話である。

夢の中で何をしたところで、それは本人の意思によるものではない。そもそも、その夢を見ているのは本人なのだから、夢の中の出来事に登場人物として出演させられた教授に責任を負わせるのもおかしな話だ。

ところが、人間は夢の中で起きたことに妙な意味を与えてしまう。

「昨日、あいつが夢に出てきて嫌なことをした。だから、あいつは嫌いだ」

そんなことを言われても、相手からすれば、

「知るか!」

である。

本人は普通に寝ていただけなのに、勝手に夢へ出演させられ、そのうえ夢の中での行動について現実世界で責任を追及される。

さらに、

「お前、昨日俺の夢に出てきて邪魔をしただろう? ウザいから二度と現れてくるな!」

などと言われたら、もはや笑うしかない。

「いや、俺に夢の出演依頼をした覚えもないし、出演料ももらっていないんだけど……」

という話である。

しかも、夢というものは、自分の記憶や想像力から勝手に登場人物を作り出す。

だから、見知らぬ人よりも、普段から顔を合わせている人間が夢に登場することも珍しくない。

職場の同僚、昔の友人、親戚、近所の人。

そうした顔見知りが夢に次々と登場するたびに、

「こいつは夢の中で嫌なことをしたから嫌いだ」

などと現実の人間関係に持ち込んでいたら、最後には周囲の人間が全員敵になってしまう。

逆もまた困った話である。

たとえば、顔見知りの女性が夢の中で自分に好意的に接してきたとする。

すると、自意識の強い人間なら、

「これは正夢なんじゃないか。俺たちは無意識の中で惹かれ合っているんだ」

などと勝手に解釈してしまうかもしれない。

しかし、女性の側からすれば、

「いや、私はあなたの夢の中に出演した覚えもありませんけど」

となる。

こちらも結局は同じことである。

夢の中で嫌なことをされたから「あいつは悪い奴だ」と決めつけるのも、夢の中で好意を示されたから「相手も自分を好きなんだ」と考えるのも、どちらも自分の頭の中で起きた出来事を、現実の相手の意思に変換してしまっている。

つまり、自分でキャスティングして、自分で脚本を書いて、自分で上映した映画の出演者に対して、現実世界で文句を言っているようなものなのだ。

『ドリーム・シナリオ』の面白さは、まさにこの不条理にあるのだと思う。

夢という、本来なら本人だけの世界で起きている出来事が、現実の人間関係にまで侵食してくる。

そして一番怖いのは、夢そのものではない。

人間が自分の想像力で作り上げたものを、「これは現実の相手の本心なのだ」と信じてしまうことである。

夢とは、自分の脳内で勝手に上映される映画なのかもしれない。

だったら、そこに出演した人間にまで責任を取らせるのは、少々気の毒な話である。

何しろ本人は、ただ寝ていただけなのだから。


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