休日の夜更けから明け方にかけての数時間は、我が家の猫たちにとって特別な時間である。
昼間のような賑やかさはなく、人間も眠りにつき、猫同士の小競り合いもほとんど起こらない。
それぞれが思い思いに過ごす、いわば「自由時間」である。
この時間になると、決まって最初に二階の居間へ姿を見せるのがコリンだ。
周りの猫たちはまだ眠っているため、誰にも絡まれず、誰にも小突かれない。
短い尻尾を小さく揺らし、とぼけた顔で部屋の中をふらふら歩き回る。
何か目的があるようで、実は何も考えていないようにも見える。
そんな飄々とした姿が、いかにもコリンらしい。
しばらくすると、嫁である月丸が後からやって来る。
月丸はコリンを見つけると、そっと頭を擦り寄せる。
まるで「おはよう」と挨拶を交わすような、穏やかな仕草だ。
しかし当のコリンは、そんなことにはあまり頓着しない。
別の物音が聞こえればそちらへ歩き出し、窓の外が気になればふらりと視線を移す。
月丸がせっかく歩み寄っても、本人はどこ吹く風である。
それでも二匹は夫婦だ。
互いに干渉しすぎず、必要以上に執着もしない。
それがこの夫婦にとって、一番心地よい距離なのかもしれない。
一方、その様子を気にしながら現れる猫がいる。
徐倫である。
彼は月丸のことが大好きだ。
他の雌猫にはほとんど目もくれず、月丸だけを追いかける。
月丸が移動すれば後を追い、近くに座れば隣へ行きたがる。
その一途さだけは、本物なのだろう。
しかし、その距離が近すぎる。
ある日、月丸が段ボールで作ったお気に入りの個室へ入ると、徐倫は迷うことなく後を追い、自分も中へ入り込んで身体を寄せようとした。
次の瞬間だった。
「シャー!」
月丸の鋭い威嚇が部屋に響く。
徐倫は「なぜなんだ?」とでも言いたげな顔をしながら、しぶしぶ段ボールハウスを後にする。
その姿を見るたび、同居人は腹を抱えて笑っている。
確かに徐倫はよく鳴く。
自己主張も強い。
少々厚かましい性格なのも事実である。
だから月丸に煙たがられるのも、無理はないのかもしれない。
それでも私は、他の雌猫には見向きもせず、月丸だけを一途に慕い続ける徐倫を見ると、少しだけ肩を持ちたくなってしまう。
「その気持ちだけは、察してやってくれ。」
そんなことを思うのである。
もっとも、気持ちだけでは関係は築けない。
どれほど相手を好きでも、相手には相手が心地よいと感じる距離がある。
その一歩を間違えれば、好意は安心ではなく窮屈さになってしまう。
猫たちは言葉で教えてはくれない。
けれど、夜明け前の静かな居間で繰り広げられる小さな物語を眺めていると、人付き合いも同じなのだと気づかされる。
近づきすぎても離れすぎても、心は通わない。
相手を思いやるとは、その人にとって心地よい距離を知ることなのだろう。
コリンの飄々とした夫婦の距離。
月丸のはっきりとした境界線。
そして、少し不器用で一途すぎる徐倫。
今日も我が家の猫たちは、それぞれの距離で生きながら、人間より少しだけ上手な付き合い方を静かに教えてくれている。
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夜明け前の静かな時間は、猫たちだけでなく、人の心も少しだけ素直になります。
何気ない仕草や、ふとした表情の中には、その日一日では気づけなかった物語が隠れています。
次の記事もまた、そんな暮らしの片隅で見つけた、小さな出来事を記録してみました。



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