夏は、冷やし中華から始まる──「すけろく」の一杯が運んでくる季節の記憶

その他の雑記

「冷やし中華、はじめました」が夏の合図だった

季節には、それぞれ決まった合図がある。

桜が咲けば春を感じ、蝉の声が聞こえれば夏を知る。

私にとっては、もう一つある。

店先に貼られた、**「冷やし中華、はじめました。」**の文字だ。

その何気ない貼り紙を見るだけで、「今年も夏が来たな」と思う。

季節は、気温だけではなく、味でもやって来るのである。


夏になると、思い出す一杯

愛媛で暮らしていると、夏になるたび思い出す店がある。

町中華ファミリーレストラン「すけろく」。

数ある夏限定メニューの中でも、私が毎年気になってしまうのが「元祖すけろく冷麺」だ。

決して豪華な料理ではない。

派手な盛り付けでもない。

それでも、夏になると自然と食べたくなる。

料理には、不思議と人を季節へ連れ戻す力がある。


気軽に立ち寄れるという魅力

私は豚太郎ほど頻繁に「すけろく」へ通っているわけではない。

それでも、昼時や夜更けに食事をしようと思うと、不思議と車はこの店へ向かうことがある。

本格的な中華料理店というより、どこかファミリーレストランのような親しみやすさがある。

だからこそ、「今日はここにしよう」と気負わず暖簾をくぐることができる。

車を走らせていて、見慣れた看板が目に入る。

その瞬間、「あそこで食べて帰ろうか」と自然に思える店は意外と少ない。

料理の味だけではなく、肩の力を抜いて立ち寄れる安心感。

そんな気軽さが、「すけろく」という店の魅力なのだと思う。


味は、記憶を連れてくる

一般的な冷やし中華といえば、甘酸っぱいタレに錦糸卵やハム、きゅうりを思い浮かべる人が多いだろう。

しかし、「すけろく」の冷麺は少し違う。

やや濁りのある酸味の効いたスープ。

その一口目で、「ああ、この味だ」と身体が先に反応する。

すると不思議なことに、味だけではなく景色まで思い出してしまう。

汗だくで過ごした夏の日。

冷房の効いた店内。

ガラス越しに揺れる陽炎。

冷たいスープを飲み干した瞬間の安堵感。

人は料理を食べているようで、その料理とともに過ごした時間まで味わっているのかもしれない。


「私の冷やし中華」の基準

これまで旅先やさまざまな店で、数え切れないほどの冷やし中華を食べてきた。

どの店にも工夫があり、それぞれ違った美味しさがある。

それでも、「冷やし中華」と聞いて最初に思い浮かぶのは、やはり「すけろく」の一杯だ。

それは「日本一美味しい」という意味ではない。

私の中で、夏の冷やし中華の基準になっているのである。

長い年月の中で何度も食べ、季節の移ろいとともに記憶へ刻まれてきた味。

だからこそ、他の店で冷やし中華を食べても、どこかでこの一杯と比べている自分がいる。


夏の料理は、季節を思い出させる

以前、私はやよい軒の冷汁について書いたことがある。

冷汁は、火照った身体を静かに落ち着かせてくれる料理だった。

一方、冷やし中華は、「今年も夏が始まった」と教えてくれる料理である。

同じ冷たい料理でも、その役割は少し違う。

季節の料理とは、栄養だけを運んでくるものではない。

その季節にしか味わえない空気や記憶まで、一緒に運んできてくれる。


おわりに

歳を重ねるにつれ、季節は気温ではなく、味で感じるようになった。

春には山菜。

秋にはいもたき。

冬には鍋。

そして夏には、冷やし中華。

毎年同じ料理を食べているようで、その年ごとに見える景色は少しずつ違う。

だから、一杯の冷やし中華にも、その年だけの夏が宿っている。

今年もまた、「すけろく」の看板を見つければ、きっと車は自然と駐車場へ入っていくだろう。

それは、お腹が空いているからだけではない。

あの一杯の向こうに、自分が過ごしてきた夏の記憶が静かに待っていることを、身体が覚えているからなのだ。


次の記事

夏になると恋しくなる料理は、人それぞれ違います。町中華の冷やし中華に季節を感じる人もいれば、郷土料理の一杯に夏の始まりを重ねる人もいるでしょう。次の記事では、宮崎の「冷汁」と愛媛の「さつま汁」を通して、身体が季節を覚えている不思議について綴っています。

夏は、一杯の冷汁から始まる──やよい軒と、季節を迎える私の小さな儀式

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