寒い季節になると、テレビ通販では決まってカニの剥き身を売り込む番組が増えてくる。
画面いっぱいに並べられたカニの脚。身がぎっしり詰まっていることを強調し、今だけの特別価格だと景気よく宣伝している。
年末が近づくと、もはや恒例行事のような光景である。
しかし、私は以前から不思議に思っていた。
世の中には魚も肉も、ほかにおいしい食材がいくらでもある。それなのに、なぜ人々はこれほどまでにカニをありがたがるのだろうか。
もちろん、カニがおいしいことは理解している。独特の甘みもあるし、身の繊細な食感も魅力なのだろう。
ただ、私にはどうにも面倒な食材に思えてならない。
カニを食べるには、それなりの覚悟がいる
まず、食べにくい。
甲羅や殻が邪魔になる。脚を折り、身を取り出し、細い部分までほじくり出さなければならない。
せっかく食卓に豪華なカニが並んでも、食べる側は殻との格闘に忙しい。
ようやく身を取り出したと思ったら、今度は指先が汚れている。
いったい私は何をしに食卓へ来たのだろう。
さらに厄介なのが食べ終わった後である。
カニの殻をそのままゴミ箱に入れておくと、時間が経つにつれて独特の生臭さが出てくる。
食べている最中は豪華な冬の味覚でも、食後には炊事場の厄介者へと変貌する。
食べる前にも手間がかかり、食べ終わった後にも始末が待っている。
なかなかの炊事場荒らしである。
ウエカツさんのように魚をさばき、骨やアラまで活用する料理人なら、こうした素材の扱いも楽しみの一つなのかもしれない。
しかし、こちらはそこまでの情熱を持ち合わせていない。
仕事を終えて帰宅した後に、カニの殻と格闘する気力など残っていないのである。
カニカマという、実に都合のよい食材
その点、カニカマは実に優秀だ。
袋を開ければすぐに食べられる。甲羅もなければ、脚の関節を折る必要もない。
本物のカニとは風味も食感も違うが、そもそも私はカニの代用品としてだけカニカマを評価しているわけではない。
カニカマにはカニカマの使い道がある。
天ぷらにすれば、衣の香ばしさと身の柔らかな食感が楽しめる。揚げ物らしい食べ応えもあり、意外と腹持ちがよい。
ラーメンに乗せてもよい。
魚介の風味を添える具材として使えるし、ほぐして麺と一緒に食べても違和感がない。
酒の肴にするなら、ポン酢と紅葉おろしを添えるだけでも十分だ。
酸味と辛みが加わり、手軽な一品になる。
高級食材のように扱い方を考え込む必要もない。料理に合わせて気軽に使えるところが、カニカマの魅力だと思う。
食材の値段と満足度は別の話
もちろん、本物のカニにはカニの良さがある。
冬の温泉旅館で食べるカニ料理や、年末年始の食卓に並ぶ大きな脚には、季節のごちそうとしての魅力があるだろう。
高級食材を味わうこと自体が楽しみだという人もいる。
しかし、食材の値段が高いからといって、必ずしも食べる人の満足度まで高くなるとは限らない。
食べるまでの手間、調理の自由度、食後の片付け。それらも含めて食事の満足度を考えれば、私にとってはカニカマの方が都合がよい。
何より、食べ終わった後に炊事場へ生臭い殻を残さずに済む。
これは地味だが、なかなか大きな利点である。
テレビ通販では、立派なカニの脚を持ち上げて豪華さをアピールしている。
しかし、その日の夜に残された殻を誰が片付けるのかまでは映してくれない。
豪華な食卓の裏側には、必ず誰かの後始末がある。
私はカニカマで十分です
結局のところ、私はカニそのものが嫌いなわけではない。
ただ、食べにくく、甲羅が邪魔で、後片付けまで面倒な食材に、そこまでの情熱を注げないだけである。
それならば、カニカマを天ぷらにしてもらい、ポン酢と紅葉おろしで酒の肴にする方が性に合っている。
高級食材をありがたがることも、食文化の一つなのだろう。
しかし、日々の食卓に必要なのは、必ずしも高級感ばかりではない。
手軽に食べられて、料理にも使いやすく、食後の始末も簡単。
そんな食材の方が、日常生活ではありがたいこともある。
今年もテレビ通販では、カニの剥き身が景気よく売り出されるのだろう。
画面の向こうでは豪華な冬の味覚が並んでいる。
その横で私は、スーパーのカニカマを手に取る。
どうやら私にとっての冬の味覚は、甲羅のない方で十分らしい。


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