毎年10月になると、街のあちこちでハロウィーンの飾り付けを見かけるようになる。
海外の伝統行事として知られるハロウィーンも、日本ではいつの間にか独自のイベントへと姿を変えた。
特に都市部では、仮装した人々が繁華街に集まり、夜遅くまでお祭り騒ぎを繰り広げる光景が見られる。
本来は仮装を楽しむ行事だったはずが、一部では路上飲酒や迷惑行為が問題になり、警察や自治体が大掛かりな警備を行うようになった。
仮装によって普段とは違う自分になりきる。そこには、日常生活では抑えている感情を解放するような心理も働いているのかもしれない。
しかし、考えてみれば、こうした現象はハロウィーンに限った話ではない。
人間は普段の生活でも、いくつもの顔を使い分けながら暮らしている。
仮面を被ると別の人物になれるのか
映画『マスク』という作品がある。
ジム・キャリー演じる主人公スタンリー・イプキスは、銀行に勤める冴えない男である。
ところが、ある日不思議な仮面を手に入れたことで、陽気で大胆、遊び心に満ちた人物へと変貌する。
普段の自分なら口にできない言葉を口にし、できない行動を大胆にやってのける。
仮面を被った途端、まるで別人になったかのような振る舞いを見せるのだ。
そこには、普段の生活では表に出せない自分を解放する楽しさがある。
もっとも、映画の中だから許されるような無茶苦茶な振る舞いも多い。現実の街中で同じことをやられたら、警察官も笑って見過ごすわけにはいかないだろう。
仮面を被ることで人間は別の顔を持つことができる。しかし、その顔を使って何をするかは、結局のところ本人次第なのだと思う。
プロレスのマスクマンが演じるもう一つの顔
仮面を被る存在といえば、プロレスのマスクマンも忘れてはならない。
タイガーマスクやミル・マスカラスのように、覆面を被ってリングに上がるレスラーたちである。
彼らは単に顔を隠しているわけではない。マスクを被ることで、それぞれのキャラクターを成立させている。
リング上では超人的な技を繰り出し、観客を沸かせる。普段の生活では一人の人間であっても、リングに上がれば別の存在になる。
しかし、彼らにはリング上で守るべき約束事がある。
相手との試合があり、観客との関係があり、それぞれのキャラクターにふさわしい振る舞いが求められる。
自由に振る舞っているように見えても、そこには一定の枠組みが存在している。
リングを降りれば、そこには一人の人間としての日常が待っている。
もしかすると、帰り道にコンビニで弁当を買っている姿だってあるかもしれない。
仮面を被ることと、何をしても許されることは別なのである。
人間は毎日いくつもの顔を使い分けている
こうした役割の使い分けは、私たちの日常にも存在している。
家庭での自分と職場での自分は、必ずしも同じではない。
私自身も、家では猫たちに囲まれてのほほんと過ごしている御隠居だが、仕事となれば話は変わる。
現場では作業の段取りや安全に気を配り、時には厳しい態度で接することもある。
家で猫たちを眺めながら過ごしているときの自分と、仕事中の自分では、ずいぶん違った顔をしているのだと思う。
もっとも、猫たちにも猫たちなりの生活上の規則があるらしく、こちらが御隠居気分でいても容赦なく起こしに来る。
どうやら我が家では、私より猫たちの方が管理職に向いているようだ。
それでも、家庭と職場で態度が変わることは、特別なことではない。
職場では責任を持って判断しなければならない場面がある。一方、家庭ではそこまで神経を張り詰める必要もない。
人間は置かれた環境によって、自然と違う顔を使い分けているのである。
心理学では、こうした集団の中で個人の自覚や抑制が弱まる現象を「脱個人化」と呼ぶことがある。
匿名性や周囲の雰囲気によって、普段なら踏みとどまるような行動に出てしまう場合もある。
ハロウィーンの騒動にも、こうした心理が関係しているのかもしれない。
ただし、仮面を被った人間が必ず別の人格になるわけではない。普段から陽気な人もいれば、仮装していても礼儀正しい人もいる。
仮面そのものが人間を変えるというより、普段は表に出てこない一面を引き出すきっかけになるのだろう。
仮面を外したときに残るもの
人間は一つの顔だけでは生きていけない。
家庭での顔、仕事での顔、友人といるときの顔、そして一人で過ごしているときの顔。
それぞれ違っていても、どれも自分自身の一部なのだろう。
ただし、役割に応じて態度を変えることと、その役割に自分自身を支配されてしまうことは違う。
仕事で厳しい立場にいる人が、家庭でも同じように振る舞えば、周囲は息苦しくなる。
反対に、普段は大人しい人が仮装をした途端に大胆になることもある。
大切なのは、どの顔をしているときにも、自分が何をしているのかを忘れないことなのかもしれない。
ハロウィーンで仮装を楽しむのもいい。プロレスのマスクマンになりきるのもいい。仕事で厳しい顔をすることも必要だろう。
ただ、いつまでも仮面を被り続ける必要はない。
家に帰れば仕事の顔を脱いで一息つく。
私の場合は、猫たちに囲まれて御隠居に戻るだけである。
ブログの中にも、もう一人の自分がいる
そう考えると、私自身もブログでは少々違った顔をしている。
仕事では現場の段取りを考える人間だが、ブログでは映画や食べ物、テレビ番組、世間の出来事を拾い集め、いつの間にか本題から脱線している。
最初はハロウィーンについて話していたはずなのに、気がつけばプロレスのマスクマンや映画の話になり、最後には猫たちの生活まで登場する。
いわば、文章の中だけで自由に振る舞う脱線キャラクターである。
もっとも、こちらは仮面を被っているつもりもない。書いているうちに、普段は表に出てこない自分が顔を出しているだけなのかもしれない。
人間にはいくつもの顔がある。
さて、明日はどの顔で一日を過ごすことになるのだろう。
仮面を被れば別の自分になれる。しかし、仮面を外したときに戻る場所があることも、案外大切なのだと思う。



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