チャンネルNECOで、青森県の津軽海峡を舞台にしたマグロ漁師の番組を流し見していた
海の男たちが、大物のマグロを追いかける。
仕事なのだから、魚を獲って生活の糧にすることが目的なのだろう。ところが、その様子を眺めているうちに、私にはどうにも大博打のように見えてきた。
漁船には高額なソナーなどの設備が備えられ、魚影を探し出すと、その周辺へ船を走らせて餌や仕掛けを投入する。魚が掛かることもあれば、何も得られず終わることもある。
船の維持費に燃料代、漁具や設備の費用。勝負のテーブルに着くまでにも、相当な金が掛かっている。
まるで『カイジ』の世界である。
ただし、こちらの相手はイカサマをする人間ではない。海そのものだ。いくら設備を充実させても、マグロに食いつく意思がなければ、それまでである。
私なら、魚が掛かるかどうかを心配する前に、経費の計算を始めてしまいそうだ。
ところが、こうした不確実な世界に魅力を感じる人間は、漁師だけではないらしい。
人生そのものが勝負になる人たち
芸能人にも、先の読めない状況に魅力を感じ、そこへ自分の人生を投じる人たちがいる。
芸能界という場所も、なかなか厄介な世界だ。
どれほど努力しても、必ず売れるとは限らない。長い下積みを経て、ようやく世間に知られる人もいれば、一時代を築いた人が、いつの間にか表舞台から姿を消すこともある。
実力だけでなく、時代の空気や出会い、運にも左右される。
昨日まで無名だった人間が、明日には誰もが知る存在になる。反対に、人気者であり続けることが、いつの間にか難しい仕事にもなる。
安定を求める人間からすれば、わざわざそんな世界に身を置かなくてもよさそうなものだ。
それでも、そこを目指す人が後を絶たない。
マグロ漁師が海の向こうに大物を求めるように、芸能人は舞台の先にある成功を求める。どちらも技術や経験を磨くことはできるが、最後の結果まで自分の思いどおりにできるわけではない。
それでも挑む。
私には、なかなか理解しがたい性分である。
夢を売るには、普通では足りないのか
芸能人は、よく夢を売る仕事だといわれる。
観客は、わざわざテレビや舞台を通して、自分の日常をそのまま見たいわけではないのだろう。
自分にはできないことをやってのける人間。常識から少し外れた生き方をする人間。普通なら諦めてしまうような場所で、なお挑戦し続ける人間。
そうした姿に、人は驚いたり、憧れたりする。
もちろん、特別な才能や華やかな成功だけが人を感動させるわけではない。失敗や挫折、弱さをさらけ出すことで、人の心を動かす人もいる。
ただ、どちらにしても、観客が普段の生活では味わえない何かを見せてくれることに変わりはない。
人間らしさを見せることで感動させる人もいれば、人間の限界を超えようとする姿で感動させる人もいる。
夢を売るという仕事には、そうした日常との距離が必要なのかもしれない。
しかし、ここで少し妙なことに気づく。
夢を見せる側の人間もまた、自分自身の夢に取りつかれているように見えるのだ。
もっと大きな舞台へ。もっと多くの観客へ。もっと難しい技へ。もっと大きな獲物へ。
外から見れば、もう十分ではないかと思えるところまで来ても、なお先を目指す人がいる。
安定だけでは満たされない人間
私自身は、そこまでして不確実な世界に身を投じたいとは思わない。
マグロ漁師のように、莫大な費用を掛けて海へ出る度胸もない。芸能人のように、世間の評価にさらされながら自分の人生を賭ける気にもなれない。
できることなら、余計な心配をせずに暮らしていたい。
ところが、人間というものは一筋縄ではいかないらしい。
安定を求める人間がいる一方で、安定した場所にとどまることに物足りなさを感じる人間もいる。
もちろん、そこには生活のための事情もあれば、名声への欲求や競争心もあるだろう。すべてを情熱という美しい言葉で片づけるわけにはいかない。
それでも、危険を承知で挑戦を続ける人間がいることは確かだ。
魚が掛かるかどうか分からない海へ出る。売れるかどうか分からない舞台へ立つ。
その先に何があるのか、本人にも完全には分からない。
それでも、やめられない。
ひょっとすると、人間には結果を手に入れることだけでなく、結果が出るまでの緊張や期待そのものに魅力を感じる部分があるのかもしれない。
ただし、それを誰もが理解できるとは限らない。
私などは、マグロが掛かった瞬間の興奮を想像するよりも、船の維持費が気になってしまう。夢を見る前に、まず請求書を見てしまう性分なのだろう。
夢を追う人間がいる。
夢を売る人間がいる。
そして、その様子を眺めながら、どうしてそこまでできるのだろうと首をかしげる人間もいる。
世の中は、なかなかうまくできている。
もっとも、全員が同じ性分になってしまったら、テレビの向こう側で大物のマグロを釣り上げる人も、舞台で観客を沸かせる人もいなくなってしまう。
そう考えれば、私のように安全な場所から眺めている人間も、案外、彼らの夢を成立させるための一員なのかもしれない。
ただし、こちらは観客席から出るつもりはない。
人生の大博打は、できれば他人の番組で眺めていたいものである。
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人はなぜ、不確実な世界に人生を懸けるのか。そして、そんな人間の姿に、なぜ私たちは惹きつけられるのか。
夢を追う人と、夢を売る人。その先には、好かれることだけでは説明できない、不思議な存在の話が待っている。
それが、カリスマというものなのかもしれない。


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