パジャマという言葉だけが残っている

文化の記憶

家で大半の時間を過ごしている私にとって、スウェット素材の服は欠かせない。

テレビを見るにも、酒を飲むにも、猫と過ごすにも楽である。

眠くなれば、そのまま寝てもいい。

考えてみれば、昔のような「いかにもパジャマ」という姿を見る機会は、すっかり少なくなった。

昭和の寝室といえば、妙に柄の悪い上下揃いのパジャマを着た親父が布団の上に座り、新聞を読んでいるような光景が思い浮かぶ。

ところが今では、スウェットやジャージ、大きめのTシャツやパーカーなど、寝ることもできる普段着がいくらでもある。

以前、飲み屋の姉さんと立ち飲み屋で軽く飲もうという話になり、連絡を入れたことがあった。

すると、

「ちょうどパジャマ姿なんですが、すぐ行きます」

と返事が来た。

私は勝手に想像した。

今どきの若い娘でもパジャマを着るのだな……。

どんなパジャマなのだろう。

そんなことを考えていると、現れたのは大きめのパーカー姿だった。

「これがパジャマなのか……」

こちらが想像していたパジャマと、本人が言うパジャマには、かなりの開きがあった。

しかし本人からすれば、家で着ていて、そのまま寝られる服なのだからパジャマなのだろう。

そこで改めて思った。

パジャマという言葉だけは、ずいぶんしぶとく残っている。

服の形は変わった。

素材も変わった。

昼間の部屋着と寝間着の境界も曖昧になった。

それでも「寝るときの服」を、いまだにパジャマと呼んでいる。

ところが、私自身はたまに作務衣で一日を過ごすことがある。

これも着心地はいいし、その気になれば寝ることだってできる。

しかし、どうも作務衣をパジャマとは呼びたくない。

「今日は作務衣で寝よう」とは言えても、

「今日はパジャマとして作務衣を着ている」

となると、何か違う。

どうやら私の中では、服そのものよりも「これは何のために着ている服なのか」という意識のほうが重要らしい。

そう考えると、パジャマとは特定の形をした衣服ではなくなっているのかもしれない。

寝るために着ればパジャマ。

部屋着として着て、そのまま寝ても本人が部屋着だと思っていれば部屋着。

作務衣なら、寝られたとしても作務衣である。

なんとも曖昧な世界である。

昔は「パジャマに着替える」と言えば、どんな格好をしているのかまで何となく想像できた。

今は「パジャマ姿です」と言われても、大きめのパーカーが出てくることがある。

服は時代とともに変わった。

それなのに、言葉だけは昔のまま残っている。

もしかするとパジャマという言葉は、特定の服を指す言葉ではなく、

「そろそろ一日の仕事を終えて、寝る側の人間になりました」

という生活の合図になっているのかもしれない。

そう考えると、パジャマという言葉だけが現代のスウェットやパーカーの中に、ひっそり生き残っているように見える。

……まあ、私が作務衣姿で寝ていたとしても、

「パジャマですね」

と言われたら、

「いや、これは作務衣です」

と訂正するとは思う。

そこだけは、なぜか譲れないのである。


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