根を張らないことが、寂しさではなく生活になっている。

文化の記憶

アニマックスで『夏目友人帳 伍 特別編 一夜杯(ひとよさかずき)』を流し見していました。

今回は、旅をしながら杯を作っている夫婦妖怪の話です。

この二人の暮らしを眺めていると、なんだか妙に微笑ましくなってきます。

その土地にある土を使い、土をこねる。

轆轤は使わず、紐作りで少しずつ器の形を作っていく。

焼くときには、山の傾斜を利用した窯に薪をくべながら、火の加減を見ていく。

そして、器を焼き終えれば、そこに長く留まることなく、また次の土地へ向かっていく。

人間の陶芸家なら、工房を構えて、窯を作って、そこを拠点に作品を作るのが一般的なのかもしれません。

けれど、この夫婦には「ここに住み続けなければならない」という感覚がありません。

土があれば器を作り、薪があれば火を焚く。

その土地で少し暮らし、器を焼き、また別の場所へ移っていく。

そんな生活です。

考えてみれば、人間だって、こういう生き方をしても悪くはないのでしょう。

家を持ち、同じ場所に住み、ひとつの仕事を続け、地域に根を張る。

それが「普通の暮らし」とされることが多いですが、それは人間の生き方の一つに過ぎません。

旅をしながら仕事をする人もいる。

季節によって住む場所を変える人もいる。

ひとつの土地に縛られず、作ったものを持って次の場所へ行く人がいてもいい。

この夫婦妖怪を見ていると、定住しないことが必ずしも寂しいことではないように思えてきます。

その土地の土を少し借りて、器を作る。

その器には、その場所で過ごした時間が残る。

けれど、作った本人たちは、いつまでもそこにいるわけではない。

なんだか、旅そのものを器にしているようにも見えます。

「一夜杯」という題名も、そんな二人の暮らしを象徴しているようで面白い。

一夜だけ、その土地の土と火を借りて器を焼く。

そして朝になれば、また次の場所へ。

人間社会では、住所がないことや、ひとつの場所に根を張らないことを、どこか不安定なものとして見てしまいます。

でも、この二人にとっては、それが普通の暮らしなのでしょう。

山の斜面で薪をくべながら、焼き上がった器を眺めている。

そして、しばらくすればまた旅に出る。

それでいいのだと思います。

「どこに住むのか」よりも、「そこで何をするのか」。

そんな暮らし方があってもいい。

妖怪だから許される生き方なのではなく、人間にもこうした生き方を選ぶ自由があっていいのではないでしょうか。

そう考えると、この夫婦妖怪は人間とは違う存在でありながら、むしろ人間の暮らし方について考えさせてくれる存在なのかもしれません。

定住しない。

所有しない。

けれど、その土地に何も残さないわけでもない。

土を器に変えて、そこに自分たちが過ごした時間を残していく。

そして、また次の土地へ。

そんな根なし草のような生き方も、案外悪くないのかもしれません。


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