ミスドから少し離れて、スーパーのツイストドーナツへ

人の記憶

中国で「ミスタードーナツ」が人気になっているという話を見かけた。

日本では昔からお馴染みの店なので、向こうでかなりの熱気になっていると聞くと、少し不思議な気分になる。

こちらでは、むしろ私はミスタードーナツから少しずつ離れている。

嫌いになったわけではない。

単純に、値段である。

最近はドーナツ一個が300円台になることも珍しくない。

もちろん、それだけの値段になる理由はあるのだろう。

材料費も人件費も上がっている。

店を維持するにも金がかかる。

昔と同じ値段で売り続けろという話でもない。

ただ、こちらの財布にも事情がある。

ドーナツ一個を眺めながら、

「これで300円台か……」

と思ってしまうようになった。

そして、その隣にあるスーパーの菓子パン売り場を見る。

そこには、似たようなツイストドーナツが100円台で置かれている。

見た目もそれなりにドーナツである。

砂糖も付いている。

油の感じもある。

コーヒーと一緒に食べれば、それなりに満足できる。

そうなると私は、スーパーのツイストドーナツを手に取ってしまう。

ミスタードーナツに何か恨みがあるわけではない。

財布が現実的なのである。


昔のミスドには、もう少し気軽な感じがあった。

学校帰りに寄ったり、家族で何個か買って帰ったり、店内でコーヒーを飲みながらドーナツを食べたりする。

ドーナツそのものだけではなく、

「ミスドに行く」

という行為まで含めて楽しんでいたような気がする。

ところが、価格が上がってくると、ドーナツ一個に対して妙な計算を始めてしまう。

300円あればスーパーで菓子パンが買える。

場合によっては飲み物まで買える。

そう考えてしまうと、私の中ではミスドのドーナツが「普段のおやつ」から「ちょっとした贅沢」に変わってしまう。

そして、ちょっとした贅沢というものは、毎日のように食べるものではない。

結果として、ミスドへ行く回数が減っていく。


面白いのは、中国では逆の現象が起きているらしいことだ。

日本では長いこと存在してきたミスタードーナツが、中国では新鮮なものとして受け入れられている。

同じドーナツでも、置かれている場所によって意味が変わる。

ある場所では「新しくて魅力的なもの」。

別の場所では「昔から知っているけれど、最近ちょっと高くなったもの」。

食べ物というのは不思議なものである。

味そのものだけではなく、値段や記憶まで一緒に食べているのかもしれない。


私の場合、最近はスーパーのツイストドーナツで十分になってしまった。

100円台のドーナツを買って、家でコーヒーを入れる。

テレビでも流しながら食べる。

それで特に不満はない。

むしろ、

「今日はこれでいいや」

という気楽さがある。

ミスドのドーナツを買うときには、どこかで「せっかくだから」という気持ちが入る。

スーパーのツイストドーナツには、それがない。

ただ腹が減ったから買う。

この差は案外大きい。


だから私は、ミスタードーナツを卒業したわけではない。

たぶん、何かの拍子に久しぶりに店へ入れば、期間限定の商品などを眺めてしまうだろう。

そして、

「これ、うまそうだな……」

などと思いながら値札を見る。

そこで財布と相談する。

そして結局、スーパーへ行く。

私のミスド離れとは、そういう程度のものである。

店が嫌になったわけではない。

ドーナツが嫌いになったわけでもない。

ただ、300円台のドーナツを見たあとで、100円台のツイストドーナツを見ると、どうしても後者に手が伸びてしまう。

中国ではミスタードーナツに熱い視線が集まり、日本では私のような人間がスーパーの菓子パン売り場へ流れていく。

同じドーナツをめぐって、ずいぶん温度差がある。

そして今日も私は、100円台のツイストドーナツを一つ買う。

別にミスドに背を向けたわけではない。

財布と相談した結果、こちら側に立っているだけである。


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