映画から考える社会

人の記憶

路地裏の狭い酒場で飲む──カウンター越しに届く酒と肴

CS放送の「さとのか4K」で、『酒の道しるべ』という番組を流し見していた。東京・恵比寿周辺の飲み屋街を歩きながら、路地裏の酒場を訪ね、酒を飲む番組である。撮影は昼間だった。だから、夜の酒場らしい喧騒はない。それでも画面に映る狭い路地を眺めて...
人の記憶

五億円の温度差──ハワイの豪邸と、川村社長の「五億!」

午後のひととき。何となく「旅channel」のハワイ高級物件情報を流し見していた。画面に映るのは、青い海を望む豪邸。広々としたリビングに、開放的なテラス。そして、それを紹介する不動産仲介業者の女性たち。皆さん美人で、話し方も実に落ち着いてい...
人の記憶

野生に憧れた文明人──ベア・グリルスと「帰りたい」の境界線

Discovery Channelを見ていると、ときどき「これは本当にサバイバル番組なのだろうか」と思うことがある。その代表格が、ベア・グリルスである。彼のサバイバル番組を見ていると、水がなければ何とかして水分を探し、食料がなければ昆虫や動...
映画から考える社会

『タクシードライバー』──夜の街を走りながら、社会を嫌いになっていく男

映画を観ていると、「なぜか最後まで観続けてしまう作品」がある。『タクシードライバー』は、私にとってそんな映画の一つだ。派手なアクションが続くわけでもない。主人公が超人的な能力を持っているわけでもない。それなのに、夜のニューヨークを走る一台の...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」9 三部作が残す「見る/見られる」の境界線

『Pearl』『X』『MaXXXine』の3作品を続けて観ていると、最初は単純なホラー映画の三部作に見えていた物語が、少しずつ別の姿に変わってくる。農場。映画撮影。ハリウッド。宗教。欲望。身体。カメラ。そして、そこにいる人間たち。それぞれ違...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」8 人間はなぜ「見られたい」のか

『Pearl』『X』『MaXXXine』をここまで追ってくると、どうしても一つの疑問が残る。なぜ人間は、誰かに見られたいのだろう。映画の中では、スターになりたいという夢として描かれる。カメラの前に立ちたい。有名になりたい。誰かに自分の存在を...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」7 絵画、テレビ、映画、SNS──人間を記録する視線

『Pearl』『X』『MaXXXine』を観ていると、何度もカメラが登場する。人間を撮影する。身体を映す。表情を残す。そして、その映像を誰かが見る。しかし、考えてみれば「人間を記録する」という行為は、映画から始まったものではない。映画が登場...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」6 農場からハリウッドへ──場所が変わっても残る欲望

『X』三部作を観ていると、物語の舞台が大きく変化していくことに気づく。『Pearl』では、1920年代の農場。『X』では、1979年のテキサスの農場。そして『MaXXXine』では、1985年のハリウッド。農場から都市へ。閉じた土地から巨大...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」5 宗教と映画産業は本当に正反対なのか

『X』三部作を観ていると、宗教と映画産業が何度も対立する。一方には、性や欲望を否定しようとする宗教的な価値観がある。もう一方には、人間の欲望や身体を映像にして商品にする映画産業がある。一見すると、この二つは正反対に見える。片方は「欲望を抑え...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」4 三部作を通して見えてくる「視線」

『Pearl』『X』『MaXXXine』。この3作品は、それぞれ時代も舞台も違うように見える。『Pearl』では1920年代の農場。『X』では1979年のテキサス。そして『MaXXXine』では1985年のハリウッド。時代が進み、舞台も変わ...