作業中、CS放送で映画『ミッドナイト・マーダー・ライブ』を流し見していた。
舞台は深夜ラジオの生放送。 長年人気を支えてきた毒舌DJが、放送中に事件へ巻き込まれ、リスナーとともに犯人らしき人物との緊迫したやり取りを続けていくという、一風変わったサスペンスである。
派手なアクションがあるわけではない。
それでも、スタジオという閉ざされた空間と、声だけが届くラジオという媒体が、不思議な緊張感を生み出していた。
毒舌は「個性」になる
主人公のDJは、歯に衣着せぬ物言いで人気を集めている。
最初は犯人らしき人物の話にもどこか同調しているように聞こえ、単なる挑発なのか、本心なのか分からない。
普段から毒舌を売りにしている人だからこそ、聞き手は真意を読み違える。
その曖昧さが、この映画の面白さだった。
声だけだからこそ、人は想像する
ラジオには映像がない。
だからこそ、聞く側は声の調子や間、息遣いから相手の感情を想像する。
同じ言葉でも、笑いに聞こえることもあれば、脅しにも聞こえる。
映像がないぶん、想像力が物語を完成させるのである。
心地よい声と、耳障りな声
私は映画だけでなく、普段からラジオを流しながら作業をすることがある。
しかし、番組によっては、話の内容よりも話し方が気になってしまうことがある。
必要以上に誰かを見下すような発言や、身内だけが盛り上がるようなやり取りが続くと、それはBGMではなく「ノイズ」になってしまう。
手を動かしていても、意識だけがそちらへ引っ張られてしまうのだ。
逆に、落ち着いた語り口の番組は、作業のリズムを崩さない。
声には、人の集中力を助ける力も、奪う力もあるのだと感じる。
情報よりも「伝え方」が残る時代
現代は動画やSNSが中心になったとはいえ、最後に人の印象へ残るのは、情報量よりも伝え方ではないだろうか。
同じ内容でも、穏やかに語る人と、攻撃的に語る人では受け取り方が大きく変わる。
映画のDJも、その「話し方」が物語そのものを動かしていた。
私たちは毎日、誰かの声を聞きながら暮らしている。
だからこそ、どんな言葉を話すかだけではなく、どんな声で届けるかもまた、一つの表現なのだと思う。



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