2026-08

映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」7 絵画、テレビ、映画、SNS──人間を記録する視線

『Pearl』『X』『MaXXXine』を観ていると、何度もカメラが登場する。人間を撮影する。身体を映す。表情を残す。そして、その映像を誰かが見る。しかし、考えてみれば「人間を記録する」という行為は、映画から始まったものではない。映画が登場...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」6 農場からハリウッドへ──場所が変わっても残る欲望

『X』三部作を観ていると、物語の舞台が大きく変化していくことに気づく。『Pearl』では、1920年代の農場。『X』では、1979年のテキサスの農場。そして『MaXXXine』では、1985年のハリウッド。農場から都市へ。閉じた土地から巨大...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」5 宗教と映画産業は本当に正反対なのか

『X』三部作を観ていると、宗教と映画産業が何度も対立する。一方には、性や欲望を否定しようとする宗教的な価値観がある。もう一方には、人間の欲望や身体を映像にして商品にする映画産業がある。一見すると、この二つは正反対に見える。片方は「欲望を抑え...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」4 三部作を通して見えてくる「視線」

『Pearl』『X』『MaXXXine』。この3作品は、それぞれ時代も舞台も違うように見える。『Pearl』では1920年代の農場。『X』では1979年のテキサス。そして『MaXXXine』では1985年のハリウッド。時代が進み、舞台も変わ...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」3『MaXXXine』が描く「見られること」の代償──ハリウッド、宗教、殺人映像が交差する世界

『Pearl』では、「見られたい」という欲望が描かれていた。誰かに自分の存在を認めてもらいたい。特別な人間だと思われたい。今いる場所から抜け出したい。『X』では、その欲望が映画撮影という形で具体化する。人を撮影する側と、撮影される側。見る人...
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「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」2 『X』が描く「見る人」と「見られる人」──のどかな農場に持ち込まれた映画と欲望

『Pearl』で描かれていたのは、「見られたい」という欲望だった。自分は特別な人間なのだと誰かに認めてもらいたい。今いる場所から抜け出して、別の人生を手に入れたい。その欲望が、Pearlという女性を少しずつ変えていった。では、その「見られた...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」1 『パール』の笑顔が怖い理由──「見られたい人間」が演じる人格の正体

A24の映画『パール』を、半分流し見のように観ていた。ホラー映画として観ることもできる作品だが、観終わったあとに妙に頭に残ったのは、殺人描写ではなかった。最後の笑顔だった。引き攣ったような笑顔。あれは喜びなのか、絶望なのか、それとも発狂なの...
映画から考える社会

「視線の境界線──『Pearl』『X』『MaXXXine』から考える人間」序章 娘を救いに行った父親、スターになろうとした娘──『ハードコア』から『X』『MaXXXine』へ

映画を観ていると、ときどき、まったく別の時代に作られた作品が、思いがけないところで一本の線につながっていることがあります。以前、A24の『X』と『MaXXXine』について書きました。『X』では「見る側と見られる側」、そしてカメラに映る身体...
人の記憶

『バレットヘッド』が思い出させた一匹の犬──「飼う」という責任について

映画を観ていると、思いがけない記憶が蘇ることがある。先日、ザ・シネマで『バレットヘッド』を流し見しながら作業をしていた。銀行強盗に失敗した三人組が、逃走の末に廃屋の倉庫へ身を隠す。しかし、その場所は闇闘犬の飼育場だった。彼らは思わぬ大金を手...
旅の記憶

景色は最高の酒の肴──流れる風景が一杯をおいしくする理由

酒は、料理だけが肴ではない。私にとって一番の肴は、流れていく景色である。若い頃から、ちょっとした旅へ出かける時は、小さなポケット瓶の酒を持ち歩くことがあった。もちろん、自分で運転する時に酒は飲まない。助手席や後部座席に座り、車窓の向こうへ流...