『Pearl』で描かれていたのは、「見られたい」という欲望だった。
自分は特別な人間なのだと誰かに認めてもらいたい。
今いる場所から抜け出して、別の人生を手に入れたい。
その欲望が、Pearlという女性を少しずつ変えていった。
では、その「見られたい」という欲望が、実際に映画を撮影する側へ回ったとき、人間は何をするのだろうか。
A24の『X』を観ていると、そんな疑問が浮かんでくる。
舞台は1979年のテキサス。
若者たちは郊外の農場を借り、ポルノ映画の撮影を始める。
しかし、この設定が面白い。
なぜ、わざわざ農場なのか。
なぜ、このようなのどかな場所でポルノ映画を撮るのか。
そこには単なるホラー映画の舞台以上の皮肉がある。
のどかな農場とポルノ映画
農場という場所には、都会とは違ったイメージがある。
家族。
労働。
土地。
信仰。
地域社会。
そして、なるべく風紀を乱さない生活。
少なくとも、都会の歓楽街や映画スタジオとは正反対の場所として想像されやすい。
ところが、その農場で撮影されるのがポルノ映画である。
しかも、農場を貸す側にも事情がある。
土地を持っているからといって、生活に余裕があるとは限らない。
高齢化した農場経営。
維持費。
生活費。
将来への不安。
そこに「撮影場所として金を払う」という話が来れば、簡単に拒否できるとも限らない。
ここに、この映画の嫌な現実感がある。
風紀や道徳を守りたいという価値観と、生活のために金が必要だという現実。
その二つは、必ずしも一致しない。
「そんなものを農場で撮るな」
と思いながらも、
「金になるなら貸す」
という判断が成立してしまう。
理想と現実の境界線は、意外に脆い。
「都会の欲望」が農場へやってくる
撮影隊は都会的な文化を農場へ持ち込む。
映画。
ポルノ。
若者。
性。
新しい価値観。
一方、農場には古い価値観が残っている。
宗教。
家族。
土地。
老い。
閉塞感。
この二つが同じ場所に存在する。
だから『X』の農場は、単なる殺人現場ではない。
古い共同体と新しい産業が接触する境界線なのだと思う。
都会からやって来た若者たちは、自分たちのやりたい映画を撮ろうとする。
農場側は土地を貸して金を得る。
一見すると、双方に利益がある。
しかし、そこには「相手の世界を理解していない」という危うさもある。
互いに自分の目的だけを見ている。
そのズレが、次第に大きくなっていく。
映画を撮るということは、人間を「見る」ことでもある
『X』を観ていて気になるのは、ポルノ映画そのものよりも、「撮影」という行為だ。
カメラを向ける。
人間の身体をフレームの中に入れる。
演技をさせる。
そして、それを記録する。
映画では当たり前の行為だ。
しかし、少し考えてみると奇妙でもある。
撮影する側には、
「何を撮るか」
を決める権利がある。
撮影される側は、
「どう見られるか」
を意識する。
つまりカメラが存在した瞬間、
見る人と、見られる人
という関係が生まれる。
『Pearl』では、「見られたい」という欲望が描かれていた。
『X』では、その欲望を満たすための装置としてカメラが登場する。
そして、そのカメラの前に人間が立つ。
「見られたい」と「見られる」は同じではない
ここには大きな違いがある。
自分から、
「私を見てほしい」
と思うことと、
「他人から勝手に見られる」
ことは同じではない。
さらに、
「こう見られたい」
と思って演じることと、
「他人からこう見られてしまう」
ことも違う。
映画撮影では、その境界が曖昧になる。
出演者は自分を見せる。
監督はそれを撮影する。
観客はそれを見る。
さらに観客が、その映像に意味を与える。
一人の人間が、映像になった瞬間に「商品」へ変わってしまう。
ここに『X』の皮肉がある。
宗教とポルノは、本当に正反対なのか
『X』には宗教的な価値観も強く入り込んでいる。
一見すれば、
宗教=禁欲
ポルノ=欲望
という正反対の構図に見える。
しかし、作品を観ていると、両者は奇妙なところで接近している。
どちらも、人間の身体や性を強く意識しているからだ。
「してはいけない」と規制する側も、性を映像にする側も、結局は人間の身体や欲望を見つめている。
そして、どちらも人間の行動に対して、
「こうあるべきだ」
という価値判断を持つ。
ここに、この映画の面白さがある。
表面的には正反対に見えるものが、実は同じ対象を見ている。
否定しているものと、自分たちは違うのか
この問題は『MaXXXine』まで観ると、さらに皮肉になる。
宗教や保守的な価値観から見れば、ポルノやハリウッドは「堕落した世界」として否定される。
しかし、では自分たちは本当に違うのか。
『MaXXXine』では、宗教的な価値観を掲げながら、殺人を映像として記録する側が登場する。
つまり、
ポルノは身体を映像にする。
映画は欲望を映像にする。
そして殺人もまた、映像として記録される。
目的や大義は違っていても、
「他人の身体や人生を、自分たちの目的のために映像化する」
という構造は似ている。
「娯楽」
「芸術」
「記録」
「使命」
名前を変えれば、自分たちは正しい側にいると思える。
しかし、行為そのものを見れば、そこには他者を対象化するという共通点がある。
老いと若さが同じ農場に存在する
『X』で特に印象的なのは、若者たちと老いたPearl、Howardが同じ場所にいることだ。
若者たちは、これから人生を作ろうとしている。
Pearlたちは、すでに人生の大部分を過ごしている。
しかし、そこには奇妙な共通点がある。
「もっと別の人生があったのではないか」
という思いだ。
若者たちは農場から出ていきたい。
映画で成功したい。
自分の人生を変えたい。
一方、Pearlにも若い頃には同じような夢があった。
スターになりたかった。
もっと大きな世界へ行きたかった。
つまり、若者と老人は対立しているようでいて、
「今いる場所ではない人生を求める」
という点では同じなのだ。
ここが『Pearl』を先に観ていると、さらに怖くなる。
老いたPearlは、単なる殺人鬼ではない。
彼女はかつて、若者たちと同じ夢を持っていた。
農場は「夢が腐っていく場所」なのか
そう考えると、この農場そのものが象徴的に見えてくる。
若者たちにとっては、映画を撮って夢を実現するための場所。
Pearlにとっては、夢を失ったまま取り残された場所。
Howardにとっては、生活を維持するための土地。
同じ農場なのに、そこにいる人間によって意味が違う。
そして、時間が経つにつれて、夢は現実に変わり、現実は閉塞感に変わっていく。
その結果、
夢を追う若者
と
夢を失った老人
が同じ場所でぶつかる。
『X』の怖さは、そこにあるのかもしれない。
「見ること」は、人間を変えてしまう
以前、葛飾応為について考えたとき、私は「人間をどのような視線で見るのか」ということを考えた。
絵画も人間を残す。
写真も人間を残す。
テレビも人間を映す。
映画も人間を映す。
そして現代では、SNSによって誰もが自分自身を撮影し、公開する。
媒体は変わっても、
「誰が見るのか」
「誰が見られるのか」
「誰がその姿を残すのか」
という問題は残り続ける。
『X』では、それが映画撮影という形で描かれる。
そして撮影される側だけではなく、撮影する側もまた、カメラによって欲望を増幅させていく。
カメラは単なる記録装置ではない。
人間の欲望を映し出す装置でもある。
『Pearl』から『X』へ
『Pearl』では、
「私は見られたい」
という欲望が描かれていた。
『X』では、
「私は人を撮りたい」
という欲望が登場する。
そして両者が同じ農場に存在する。
見られたい人間。
見る人間。
撮影される人間。
撮影する人間。
その関係が複雑に絡み合っていく。
だから『X』は、単なるスラッシャー映画として観るよりも、
「人間は、他人をどこまで自分の目的のために見ることができるのか」
という映画として観ると、違った怖さが見えてくる。
『X』が残す疑問
映画を観終わったあとに残るのは、
「誰が殺されるのか」
だけではない。
むしろ、
「なぜ、この人たちはここに集まったのか」
「なぜ農場の持ち主は土地を貸したのか」
「なぜ若者たちは映画を撮りたかったのか」
「なぜPearlは若者たちを憎むのか」
「なぜ人間は、自分とは違う生き方をする人間を否定したくなるのか」
という疑問が残る。
そして、その疑問は『MaXXXine』へ続いていく。
『X』で撮影された映像は、単なる映画ではない。
そこには、宗教、家族、老い、金銭、性、映画産業、そして「見られたい」という人間の欲望が入り込んでいる。
だからこの作品を観ていると、ホラー映画を観ているというより、
人間が他人を見ることの怖さ
を見せられているような気分になる。
『Pearl』が「見られたい人間」の物語だったとすれば、『X』は「見る人間」と「見られる人間」が衝突する物語なのだと思う。
そして、その先にある『MaXXXine』では、今度は「見られることで成功する」ことの代償が描かれていく。
三部作を通して見ると、そこには一つの問いが残る。
人間は、誰かに見てもらうために、自分自身をどこまで変えることができるのだろうか。
次の記事
『X』では、農場という閉じた場所に映画撮影という新しい欲望が持ち込まれ、「見る側」と「見られる側」の境界が崩れていきました。では、その映像の世界へ自ら飛び込んだ人間は、そこで何を手に入れ、何を失うのでしょうか。次の『MaXXXine』では、宗教、家族、ハリウッド、そして殺人を記録する映像が交差しながら、「見られることで成功する」という欲望の裏側を考えてみたいと思います。



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