さとのか4Kで『レストアガレージ』を流し見していた。
この日は、トヨタ・スポーツ800、いわゆる「ヨタハチ」のレストア作業が映っていた。
50年以上も前の車である。
外から見ると、きれいに保管されていた車体は、それほど傷んでいるようには見えない。
ところが、分解していくと話が違ってくる。
エンジン周辺の配管などには、長い年月による劣化が見つかる。
見た目だけでは分からなかった部分が、部品を一つずつ外していくことで姿を現す。
そして、悪くなったところをそのまま捨てるわけにもいかない。
溶接して、補強して、塗装する。
使える部品は修復して使い、もう使えないものは作り直す。
そうやって、もう一度走れる状態へ戻していく。
この光景を眺めているうちに、なぜか病院の風景と重なってきた。
最近、叔父が脱腸の手術を受けることになった。
大工をしてきた人なので、これまで仕事で重い木材や建材を扱うことも多かっただろう。
年齢を重ねれば、身体のあちこちにも少しずつ劣化が出てくる。
本人からすれば、若い頃から何十年も使い続けてきた身体だ。
それこそヨタハチと同じである。
もちろん、人間と自動車を同じように考えるわけにはいかない。
車なら部品を取り寄せて交換できる。
しかし、50年以上前のヨタハチともなると、そう簡単にはいかない。
「その部品、もうありません」
ということもある。
そうなると、修理する側が現物を見ながら部品を作ったり、傷んだ部分を補強したりする。
人間の身体も、壊れたところを全部新品に交換できるわけではない。
弱ったところを治療し、補強し、薬などで支えながら、残っている身体を使っていく。
考えてみれば、これも一種のレストアなのかもしれない。
大切にしていても、劣化は進む
ヨタハチが面白かったのは、車庫の中で大切に保管されていた車でも、劣化している部分があったことだ。
雨ざらしにしていたわけでもない。
乱暴に使っていたわけでもない。
それでも、時間は部品の中へ静かに入り込んでいる。
金属は錆びる。
ゴムは劣化する。
配管も傷んでくる。
人間も似たようなものなのだろう。
身体を大切にしていても、歳を取れば少しずつ変化する。
若い頃には何ともなかった重い荷物も、いつの間にか身体に負担を感じるようになる。
私自身も仕事で重い荷物を引き込むことがある。
「自分はまだ大丈夫」と思っていても、身体の内部で何が起きているのかまでは分からない。
人間には、自動車のような走行距離メーターも整備記録も付いていない。
何十年使ったから、
「そろそろこの部品を交換しましょう」
とは教えてくれない。
ある日突然、身体のどこかが、
「ここ、ちょっと弱っていますよ」
と知らせてくる。
今回の叔父の脱腸も、そんな身体からの小さな通知だったのかもしれない。
部品がないということ
50年以上前のヨタハチを修理する難しさは、単純に古いことだけではない。
部品がない。
これが大きい。
人間の身体も、少し似ている。
もちろん人間には移植医療もあるし、人工関節のように置き換えられるものもある。
しかし、自動車のように「壊れたので新品を注文」というわけにはいかない臓器も多い。
だから、今あるものをできるだけ長く使う。
悪いところを治す。
弱ったところを補う。
そして、また日常へ戻る。
病院の手術も、レストアガレージも、やっていることは違う。
けれど、
長い時間を使ってきたものを、もう一度使える状態へ戻す。
という部分では、どこか似ている。
古いものは、時間を消さない
レストアされたヨタハチは、単に新品同様になるわけではない。
50年以上という時間を消してしまえば、それはもう「古いヨタハチを蘇らせた」というより、別の何かになってしまう。
傷んだところを直しながら、その車が過ごしてきた時間も一緒に残す。
人間も同じなのだろう。
手術をすれば傷跡が残る。
歳を取れば、若い頃にはなかった不具合も増えてくる。
それでも、それは「失敗した身体」ということではない。
長い年月を使ってきた身体には、それなりの履歴がある。
大工として働いてきた叔父にも、農協職員として肥料や土の袋を運んできた陶芸教室の方にも、それぞれ身体に刻まれた時間がある。
人間も旧車も、長く使えば傷む。
しかし、傷んだから終わりというわけでもない。
修理できるところを修理し、補強できるところを補強して、また走る。
ヨタハチがそうして再び道路へ出ていくように、人間もまた病院から家へ帰っていく。
新品には戻らない。
それでも、まだ走れる。
そう考えると、レストアという作業は、古い車を綺麗にすることだけではなく、
「時間を抱えたまま、もう一度動き出すための作業」
なのかもしれない。
そしてこれは、車だけの話でもないような気がする。
私たち自身も、いつかどこかを補修しながら走ることになる。
そのときには、車庫から出てきたヨタハチのように、
「まあ、まだ走れるからいいか」
くらいの顔をしていればいいのかもしれない。



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