さとのか4Kにて『岡山うらじゃ』の祭り録画を流し見している。
鬼の面をまとった踊り手たちが、威勢よく踊っている。祭りというものは、普段はごく普通に暮らしている人々が、ある日突然、派手な衣装をまとって別人のように振る舞うところにも面白さがある。
そんな映像を眺めているうちに、ふと思った。
岡山という町は、なぜか妙にアクが強い。
もちろん、岡山県民が皆そうだという話ではない。あくまでも、食べ物や言葉、音楽、祭りなどを見聞きしていると、どこか引っ掛かるものがあるという話である。
まず、食べ物からしてなかなかの押しの強さだ。
ホルモンうどん。
名前からして、すでに遠慮がない。上品な出汁の香りで静かに勝負するというより、鉄板の上で肉や野菜と一緒に焼き上げ、濃厚な味付けで食べさせる。食材の個性を丸く整えるよりも、それぞれの持ち味を前面に押し出すような料理である。
もちろん、岡山の食文化がすべてホルモンうどんのようなわけではない。しかし、この一品には、なかなかの存在感がある。
方言にも、独特の響きがある。
言葉の語尾やイントネーションによって、柔らかく聞こえることもあれば、妙に力強く感じることもある。土地の言葉というものは、意味だけでなく、音の具合によっても印象が変わるものだ。
そして、藤井風の音楽である。
洗練されたサウンドの中に、岡山の言葉や土地の匂いがふっと顔を出す。都会的でありながら、どこか土着的。洒落ているのに、妙に生々しい。
この混ざり具合も、私が岡山に感じるクセのひとつなのかもしれない。
きれいに磨き上げられたものの中に、簡単には取り除けない何かが残っている。
それが何なのか、うまく説明することはできない。
ただ、嫌いではないのである。
むしろ、何でも万人受けするように整えられたものより、こうした癖のあるもののほうが、眺めていて飽きないことがある。
今回の『岡山うらじゃ』もそうだ。
岡山には桃太郎の物語がある。鬼を退治する英雄の話として全国的に知られているが、その一方で、温羅という鬼の名を冠した祭りが、これほど賑やかに繰り広げられている。
鬼を退治する側の物語が有名な土地で、今度は鬼の姿になって踊る。
もちろん、伝承と現代の祭りを単純に結びつけることはできない。それでも、鬼という存在を恐ろしいものとして遠ざけるだけでなく、祭りの主役として迎え入れてしまうところに、面白さを感じる。
鬼にも鬼の事情がある。
人間の都合で悪者にされているだけかもしれない。そんなことを考え始めると、桃太郎の立場も少々怪しくなってくる。
もっとも、ホルモンうどんを食べながら桃太郎と鬼が和解したところで、昔話の筋書きが変わるわけでもないのだが。
それでも、食べ物にも、言葉にも、音楽にも、祭りにも、どこか一筋縄ではいかないものが残っている。
岡山という町には、そんな印象がある。
誤解のないように言っておくと、私はこのクセが嫌いではない。
むしろ、妙に気になる。
観光案内に載るような美しい景色や名所だけが、その土地の魅力ではないだろう。少しばかり癖があり、妙な引っ掛かりがあり、なぜか記憶に残ってしまう。そんなものにも、その土地らしさは表れるのだと思う。
さて、画面の中では、今日も鬼たちが踊っている。
桃太郎も、鬼退治ばかりしていないで、一度くらいホルモンうどんを囲んで話し合えばよかったのではないか。
案外、話がまとまるかもしれない。
ただし、味付けの濃さについては、最後まで意見が合わない可能性がある。



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