私の実家では、夏になると冷や汁が食卓に並んだ。
すり鉢に麦味噌を入れ、軽く炒った煎り子と一緒にすり合わせる。味噌の表面に焦げ目を付けた後、刻んだミョウガやキュウリ、豆腐、じゃこ天などを加え、水でのばして仕上げる。
暑さで食欲が落ちる時期でも食べやすく、子どもの頃から当たり前のように口にしてきた夏の味である。
長い間、私はそれを地元で昔から食べられてきた郷土料理だと思っていた。
しかし調べてみると、冷や汁やひゅうが飯のルーツは九州地方にあると言われている。
では、なぜ九州の料理が愛媛に残っているのだろうか。
その背景には、人の移動があったのではないかと思う。
かつて作物が十分に採れない地域では、人々は地元の産物を持って県外へ行商に出ることがあった。瀬戸内海を挟んだ九州との交流も珍しいものではなく、人々は商品だけでなく、食べ方や暮らし方も一緒に持ち帰ったのだろう。
そうして伝わった料理は、そのまま再現されるわけではない。
その土地で手に入る食材によって、少しずつ姿を変えていく。
私の家の冷や汁に煎り子が使われていたのも、そうした土地の事情によるものだったのかもしれない。
我が家は山間部に近い環境だったため、新鮮な魚をいつでも手に入れられるわけではなかった。その代わり、日持ちのする煎り子は保存が利き、必要な時にすぐ使うことができる。
もし海沿いの集落であればアジやサバが使われたかもしれない。
川沿いであればアマゴなどの川魚が入った可能性もある。
同じ冷や汁という名前で呼ばれていても、その中身には土地の環境が反映されているのである。
さらに思い出すのが、鯛のすり身を使った「伊予さつま」だ。
味噌と魚を組み合わせるという点では、どこか冷や汁にも通じるものがある。
もちろん由来について断定はできないが、「さつま」という名前を聞くたびに、九州から伝わった食文化の名残を感じてしまう。
人が移動し、食べ方が運ばれ、その土地にある食材によって作り替えられる。
伊予さつまもまた、そうした歴史の中から生まれた料理なのかもしれない。
面白いのは、同じ郷土料理であっても家庭によって中身が違うことである。
冷や汁一つとっても、使う魚は違うし、味噌の濃さも違う。入れる具材もそれぞれだ。
考えてみれば、味噌汁も煮物も同じである。
同じ料理名で呼ばれていても、家庭ごとに味付けは異なる。
そこには「ウチはウチ、他所はヨソ」という感覚がある。
誰かが決めた正解を守っているわけではない。
それぞれの家庭が、その土地の食材と暮らしに合わせて作り続けてきた結果なのである。
私たちは郷土料理というと、その土地だけで生まれた特別な料理を想像しがちだ。
しかし実際には違う。
人が運び、土地が変え、家庭が受け継ぐ。
そうして少しずつ姿を変えながら残ってきたものが郷土料理なのだと思う。
私が夏になると食べていた冷や汁も、その長い旅路の途中で生まれた一杯だったのかもしれない。
冷や汁の中の煎り子や、伊予さつまの中の鯛には、ただの食材以上に、人々の暮らしや移動の記憶が刻まれているように感じるのである。



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