酒はいつから「贅沢品」になったのか──一人飲みの時間まで税金に追われる時代

人の記憶

薬局を兼ねた食品売り場で、酒の棚を眺めていた。

薬を買うために立ち寄った店なのに、食品から日用品、そして酒まで並んでいる。今では、こうした店も珍しくなくなった。

そんな酒売り場に、やたらと大きな広告が貼られていた。

「税率変更前にお早めに」

どうやら酒税の改正を前に、今のうちに商品を購入しておこうという広告らしい。

確かに、酒をよく飲む人にとっては気になる話なのだろう。

しかし私は、その広告を見ても、

「今のうちに買いだめしておこう」

とは思わなかった。

そもそも私は、酒を大量に買い込むような飲み方をしていない。

毎晩必ず飲むわけでもない。

酒が切れてしまうと落ち着かなくなるわけでもない。

「安いうちに買っておかなければ損だ」

と考えて、何箱も家に積み上げるほどの飲んべえでもない。

私の酒の飲み方は、もっと気まぐれだ。

仕事が終わった夜、なんとなく気分がいい。

外の空気が気持ちいい。

テレビを眺めながら、今日は一杯やりたいと思う。

そんな時に、酒が欲しくなる。

つまり私にとって酒は、毎日のノルマではない。

「飲みたいと思った時間に飲むもの」なのだ。

だから、酒そのものよりも、その酒を飲みたくなる瞬間のほうが大切なのかもしれない。

夜の空気や、その日の気分、仕事が終わった解放感。

そうしたものが重なったところに、一杯の酒がある。

ところが、酒税が上がっていけば、その一杯にも少しずつ値段が乗ってくる。

もちろん、酒には健康上の問題もある。

飲酒によって生じる社会的な負担を考えれば、酒に税金をかけることには政策的な理由があるのだろう。

それ自体を否定するつもりはない。

ただ、それとは別に、少し寂しいと思うことがある。

煙草がそうだった。

昔は、仕事の休憩時間に一服する光景が珍しくなかった。

喫茶店で煙草を吸いながらコーヒーを飲む。

酒場で酒を飲みながら煙草をくゆらせる。

もちろん、今では煙草を取り巻く環境は大きく変わった。

健康問題もあり、喫煙できる場所は減り、税負担も大きくなった。

そして煙草は、いつの間にか「日常の嗜好品」というより、「かなり金のかかる嗜好品」になった。

酒も、少しずつ同じ方向へ進んでいるように見える。

そのうち酒まで、特別な日にしか飲めないような高級嗜好品になってしまうのだろうか。

「今日は一杯飲もう」

そんな、ごく小さな楽しみまで財布と相談しなければならない時代になったら、私は少し寂しい。

私は酒を飲むために生きているわけではない。

酒がなければ生きていけないわけでもない。

ただ、酒を飲みたいと思った夜に、気軽に一杯飲めるくらいの余白は残っていてほしいと思う。

だから、店頭に貼られた「税率変更前にお早めに」という大きな広告を見ながら、私は少し複雑な気持ちになった。

買いだめするほどではない。

しかし、値上がりしていくことを黙って眺めているのも、どこか寂しい。

酒そのものを守りたいというより、

「今日はちょっと飲もうか」

と自分の気分だけで決められる、あの小さな自由を守りたいのだ。

煙草も酒も、いずれは一部の人間だけが気軽に楽しめるものではなくなっていくのかもしれない。

健康や社会的な問題を考えれば、それも時代の流れなのだろう。

それでも私は思う。

人間には、役に立つわけでもなく、効率がいいわけでもなく、ただ「今日はこれが欲しい」と思えるものが、少しくらい残っていてもいいのではないか。

一杯の酒くらい、そんな場所にいてほしいのである。


次の記事

一杯の酒をめぐる話は、やがて「人間は何にお金を払い、何を楽しみとして残していくのか」という話へつながっていく。
酒や煙草だけではない。昔は当たり前だった小さな楽しみや、何気ない習慣も、時代とともに少しずつ姿を変えている。
次の記事では、そんな「暮らしの中から消えていったもの」に目を向けてみたい。

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