財布があっても、中身がなけりゃ

CS放送を流し見していると、番組と番組の間に妙に長い商品販売のCMが入ることがある。

サプリメント、白髪染め、育毛剤……。

見ているこちらの年齢層を完全に読まれているような商品が次々と出てくる。

その中でも、やたら目につくのが「金運財布」である。

財布を替えるだけで金運がどうの、という話を、出演者が実に熱心に語っている。

中でもバルコスの金運財布は、島田周平氏の持ち前のアイデアをこれでもかと詰め込んでいるらしく、干支にちなんだ金運の話まで長々と続く。

「そこまで財布に背負わせるのか」と思いながら、こちらは酒でも飲みながら眺めている。

正直なところ、かなり胡散臭い。

もちろん財布そのものは普通に財布なのだろう。

問題は、その財布に宿るという「金運」のほうである。

そんなCMが流れているときだった。

二階の猫トイレを掃除するためにやって来た同居人が、テレビの前を通り過ぎながら、その金運財布のCMを一瞥した。

そして一言。

「財布があっても中身が無けりゃ意味ないだろ……。」

それだけ言って、猫トイレの掃除へ向かっていった。

私はしばらくテレビを眺めた。

確かに、それは言えている。

さっきまでテレビでは、財布を持つことによって訪れる金運について延々と説明していた。

しかし、どれだけ縁起の良い財布を持ったところで、財布の中に入れるものがなければ、ただの立派な入れ物である。

金運以前に、まず現金が必要なのだ。

そう考えると、テレビの向こうで熱弁を振るう人よりも、猫トイレを掃除しながら通り過ぎた人のほうが、よほど話が早い。

金運財布について、普段なら私は「まあ、そういう商売もあるわな」くらいで済ませている。

ところが今回は珍しく、同居人の意見に異論がなかった。

猫の排泄物を片付けに来た人間から、金運財布について現実的な教訓を授かる。

人生、どこで何を学ぶか分からない。

そして我が家の場合、その教訓の舞台は、どうやら二階の猫トイレらしい。


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