賑わいの陰で生きる人たち

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私の住んでいる地域は市内でも有数の繁華街に近い場所だ。

夜になれば飲食店の灯りが並び、人の往来も絶えない。街には活気があり、どこか賑やかな印象がある。

しかし、そんな街にも別の顔がある。

この辺りはアパート暮らしの独居高齢者が多い。

理由は単純だ。

病院や商店が近く、買い物も徒歩で済む。公共交通機関も充実しているため、車を所有する必要がない。

かつては郊外の一戸建てで暮らしていた人も、年齢を重ねるにつれて利便性の高い中心市街地へ移り住むことがある。

最近では百貨店でも日用品や食料品を扱うところが増えた。

地代が多少高くても、日常生活の負担が少ないことを考えれば十分に合理的な選択なのだろう。

だが、その合理性の裏側には別の現実もある。

身寄りのない高齢者が一人で暮らし、そのまま誰にも気付かれずに亡くなる。

いわゆる孤独死である。

私は以前、特殊清掃の仕事を請け負ったことがあった。

詳細を書くつもりはない。

ただ、人通りの多い繁華街のアパートでも、誰にも気付かれないまま亡くなっていた人がいたことは今でも記憶に残っている。

街には多くの人がいる。

だが、人が多いことと、人とのつながりがあることは必ずしも同じではない。

夜の町中華で餃子をつまみながらビールを飲んでいると、隣の席から雑談が聞こえてくることがある。

聞こうとしているわけではない。

それでも、誰かの仕事の話や家族の話、昔話が自然と耳に入ってくる。

そうした何気ない会話の中には、人と人とのつながりがある。

深夜食堂のような物語や、昔のラジオ番組で酒場の会話を盗み聞きするような企画に惹かれるのも、結局は人の暮らしの気配を感じたいからなのかもしれない。

賑やかな繁華街の灯りの下にも、一人で暮らす人がいる。

誰にも知られないまま静かな夜を過ごしている人がいる。

街は華やかな場所として語られることが多い。

だが、その陰には静かな暮らしがあり、孤独があり、そしてそれぞれの人生がある。

私はどちらかといえば、表通りの賑わいよりも、その少し裏側にある風景の方に目が向いてしまう。

人が集まる場所だからこそ見えにくくなるものがある。

街の灯りが明るいほど、その陰もまた存在しているのだと思う。


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