サプライズは苦手だが、ハプニングは大好物

文化の記憶

旅チャンネルにて『ハワイに恋して』という観光紹介番組を流し見している。

美しい海、観光名所、現地のグルメ。南国の風景を眺めているだけでも、それなりに旅気分を味わえる番組なのだが、どうにも気になるのがサプライズの多さである。

誕生日のお祝いに始まり、記念日の演出、店員を巻き込んだ祝福。何かにつけて周囲の人間まで参加させ、みんなで盛り上がろうという展開が繰り返される。

どうも私は、ああいうものが苦手らしい。

若い頃、酒場で似たようなサプライズを受けたことがある。

祝ってくれる気持ちはありがたい。そこに悪意などないことも分かっている。しかし、嬉しさと同時に、妙な居心地の悪さが込み上げてくる。

店には、自分とは何の関係もない客がいる。彼らは彼らで酒を飲み、連れと話をし、それぞれの時間を過ごしている。

そこへ突然、私の誕生日だか何だか知らないが、店全体を巻き込んだ催し物が始まる。

拍手をしてくれる人もいるだろう。愛想よく笑ってくれる人もいるだろう。

しかし、内心では静かに飲みたかった人もいたのではないか。

祝われている本人が、なぜか周囲に申し訳なさを感じてしまう。ありがたいのに、どこかひけ目を感じる。

どうやら私は、パーティーというものがあまり得意ではないらしい。

ところが、そんな私にも大好物がある。

それがハプニングである。

例えば、酒豪を気取って酒をあおり続け、周囲に自分の酒量を見せつけていた人物が、最後には救急車で運ばれるような一幕だ。

もちろん、急性アルコール中毒は命に関わることもある。実際に倒れた人間を見て笑っている場合ではない。

しかし、そこに至るまでの人間模様には、何とも言えない皮肉が漂っている。

本人は豪快な酒飲みを演じているつもりだったのだろう。

まだ飲める。これくらい平気だ。俺は酒に強い。

そんな具合に、自分の酒量を誇示し、周囲の人間を感心させようとしていたのかもしれない。

ところが、身体は本人の見栄に付き合ってくれなかった。

気がつけば、豪快に酒をあおっていた人物を周囲が介抱し、救急車が呼ばれる。

さっきまで酒場の主役を気取っていた人間が、今度は救急隊員に世話をされる側へと回る。

酒豪の看板は、あっけなく現実に取り下げられてしまった。

何とも皮肉な話である。

サプライズには、あらかじめ筋書きがある。

誰かが計画を立て、周囲に協力を求め、本人を驚かせ、最後には感動や喜びで締めくくろうとする。

そこには、予定された幸福がある。

一方、ハプニングには筋書きがない。

誰かが格好をつけ、誰かが余計なことをし、物事が思いもよらない方向へ転がっていく。

本人が描いた理想の姿と、目の前に現れた現実との間に、どうにも埋めようのない溝が生まれる。

その瞬間、人間の見栄や思い込みが、隠しようもなく顔を出す。

私はどうやら、そういう場面に惹かれるらしい。

もっとも、自分がその中心に立ちたいわけではない。

大勢の客から拍手を浴びるより、少し離れたカウンターで安い酒でも飲みながら、事の成り行きを眺めているほうが性に合っている。

誰かが騒ぎを起こす。

周囲が慌てる。

本人の思惑とは違う結末が訪れる。

こちらはグラスを傾けながら、心の中でつぶやく。

「おやおや、ずいぶんと話が違ってきましたな」

もちろん、現実の事故や病気を望んでいるわけではない。

ただ、人間というものは、格好をつけようとすればするほど、思いがけないところでその格好が崩れてしまうことがある。

そして、その崩れ方には、本人が用意した演出では決して生み出せない妙なおかしみがある。

サプライズは苦手だが、ハプニングは大好物。

誰かに喜ばせてもらうための舞台より、人間の思惑が勝手に崩れていく舞台のほうが、どうにも目が離せないのである。

人生というものは、脚本家がいないから面白い。

ただし、救急車を呼ぶような結末だけは、できれば舞台の外でお願いしたい。


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