理想論の外側で鳴っていた音 ― 『GOLD FISH』を観て思い出したこと

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明け方近く、Amazon Prime Videoで映画『GOLD FISH』を流し見しながらブログ作業をしていた。

日本のパンクロックバンドを題材にした作品である。

パンクという文化は、今でもどこかマイナーな世界に属しているように思う。音楽好きなら知っていても、多くの人にとっては馴染みの薄い文化かもしれない。

私が子供の頃は、まだテレビの影響力が圧倒的だった時代だった。

情報の多くはテレビを通じて届けられ、人々もまた同じ番組を見ながら共通の話題を持っていた。

そんな中で、たまにラジオから流れてくるパンクロックの特集が妙に印象に残っている。

アルバムも知らない。

バンド名もよく覚えていない。

それでも、インタビューで語られる言葉だけは何となく記憶に残っている。

大手メーカーが売り出すスターとは違う空気があった。

どこか荒削りで、洗練されているとは言えない。

それでも妙な説得力があった。

当時の私は、その理由をうまく説明できなかった。

今振り返ると、彼らが語っていたのは理想ではなく現実だったのだと思う。

政治家が地方にやって来て演説をする。

企業が未来の成長を語る。

テレビでは景気や流行が紹介される。

もちろんそれらも必要な話だ。

しかし、人々が日常で感じる小さな違和感や息苦しさまでは、なかなか語られない。

パンクロックが歌っていたのは、そうした言葉になりにくい感情だったように思う。

彼らは決して裕福な立場ではない。

有名人でもない。

それでも地方のライブハウスを回りながら、自分たちが感じている違和感や怒り、不安や孤独を歌にしていた。

それは社会を変えるための壮大な演説というより、

「自分だけではなかった」

という確認作業に近かったのかもしれない。

かなり昔のことになるが、私もラジオを通じた縁で県外のライブハウスの手伝いをしたことがある。

仕事というより半分ボランティアのようなものだった。

ライブハウスの空気は独特だった。

客席と演者の距離が近い。

少し緊張感があり、どこかヒリヒリしている。

正直に言えば、最初は怖そうな人も多かった。

しかし実際に接してみると、不思議なほど親切な人が多かったことを覚えている。

見た目とは違い、むしろ居場所を大切にしている人たちだった。

英国で起きたパンクムーブメントとは背景も意味も異なるのだろう。

それでも地方のライブハウスには、テレビには映らない人々の現実があった。

映画『GOLD FISH』を眺めながら思い出したのは、音楽そのものよりも、あの空間だった。

派手な成功談ではない。

世の中を変えるような大きな物語でもない。

それでも、人が抱える違和感や生きづらさを共有する場所として、ライブハウスには確かな役割があったように思う。

考えてみれば、私がこれまで書いてきた地域の祭りや町中華、深夜のコンビニの話も似たようなものなのかもしれない。

どれも世の中の中心にある話ではない。

けれど、人が暮らしていく上で感じる現実は、案外そうした場所にこそ表れている。

『GOLD FISH』を観ながら、そんなことをぼんやり考えていた。


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