『おんな太閤記』を見ていたら、どうしても中華料理店が見えてくる

記憶と現在

時代劇専門チャンネルで『おんな太閤記』を流し見している。

戦国時代の話である。

豊臣秀吉が天下を取っていく。その周囲には、妻や母、姉妹、家臣たちがいて、戦国武将たちがそれぞれの立場で動いている。

……はずなのだが、どうにも落ち着かない。

出演している俳優の顔を見ていると、どうしても別の世界が頭に浮かんでくる。

「あれ、この人……『渡る世間は鬼ばかり』に出ていなかったか?」

そう思い始めると、もういけない。

戦国武将を見ているはずなのに、その向こう側に中華料理店の厨房が見えてくる。

こちらは天下取りを目指している。

あちらは店の経営について揉めている。

時代はまったく違うのに、なぜか人間関係だけは妙に似ている。

調べてみると、『おんな太閤記』は1981年のNHK大河ドラマで、橋田壽賀子が脚本を担当している。

そして後の『渡る世間は鬼ばかり』にも、橋田壽賀子作品でお馴染みとなる俳優たちが大勢登場する。

つまり、こちらが勝手に「渡鬼の人たちが戦国時代にいる」と感じていたわけでもないらしい。

橋田壽賀子という脚本家を中心に、長く作品をともにしてきた俳優たちがいた。

それを後年の『渡る世間』から知っている私が、昔の『おんな太閤記』を見ている。

だから、頭の中で勝手に俳優たちの人生がつながってしまう。

戦国時代を生き抜いた武将が、数百年後には中華料理店の厨房に立っている。

もちろん本人たちにそんな予定はない。

私の頭の中だけである。

秀吉も天下を取るまでは大変だっただろう。

しかし、もしその後に町の中華料理店を始めていたら、天下統一よりも店の家族経営のほうが苦労したのではないかと思う。

「今日は誰が厨房に入るのか」

「店の仕入れはどうするのか」

「そんな言い方をしたら、お義姉さんが気を悪くするでしょう」

「私はそんなつもりで言ったんじゃありません」

こうなると、もう合戦どころではない。

城内の勢力争いより、家族経営の店内のほうが長期戦になりそうである。

そして橋田壽賀子のドラマでは、時代や職業が変わっても、人間同士の面倒臭さはあまり変わらない。

戦国武将も、現代の家族も、結局は誰かの言葉に腹を立て、誰かの態度を気にして、誰かに気を遣いながら生きている。

刀を持っているか、ラーメンの出前を持っているかの違いである。

そう考えると、『おんな太閤記』を見ながら『渡る世間』を思い出してしまうのも、あながち間違いではないのかもしれない。

むしろ私の中では、

「豊臣家、後の中華料理店経営へ」

くらいまで話が進んでしまっている。

天下統一を果たした秀吉が、晩年に町中華を始める。

店先には赤い暖簾。

厨房では家族が忙しく動いている。

客が帰ったあと、誰かが小さな声で言う。

「……今日も大変だったね」

戦国時代が終わっても、人間の営みは終わらない。

どうやら橋田壽賀子の世界では、城が中華料理店になっても、人間関係だけはそのまま残るらしい。


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