🥋 勇次郎ヘアを思い出しながら、今は違う髪型を探している

その他の雑記

最近、髪型について考える時間が増えた。

きっかけはAGAだった。

若い頃には気にも留めなかった髪の細さや白髪が、今では鏡を見るたびに目に入る。

だからといって、若い頃の自分に戻りたいわけではない。

むしろ最近は、「年齢を重ねたからこそ似合う髪型とは何だろう」と考えることが多くなった。


そう考えていると、ふと思い出す。

昔、私はストローを使ってパーマをかけ、範馬勇次郎の髪型を真似したことがあった。

完成した姿は、勇次郎というよりB&Bの洋八さん。

あるいはクリスタル・キングの高音担当。

そんな出来映えだったが、不思議と楽しかった。

あの頃は、「強そうな男」に憧れていたのだと思う。


ところが、今『バキ』を読み返すと、目が留まるのは現在の勇次郎ではない。

初期の勇次郎である。

まだ人間らしい表情が残り、髪も自然な天然パーマのようだった頃。

怪物になる前の勇次郎には、どこか静かな空気が流れていた。

今の私は、その静けさに惹かれている。


考えてみると、憧れる人物も変わった。

若い頃は三船敏郎さんや三國連太郎さん、中村吉右衛門さんの姿を追いかけていた。

今はそこに、山路和弘さんや片岡鶴太郎さんのように、白髪を自然に生かす人たちが加わっている。

『鬼平犯科帳』を見ても、以前なら物語ばかり追っていた。

しかし最近は、着物の色、光の入り方、人物の立ち姿ばかり見てしまう。

年齢を重ねると、同じ作品でも見える景色が変わるらしい。


服装もそうだ。

流行を追うことは少なくなった。

半分会社員、半分自営業という生活では、動きやすさが何より大切になる。

作務衣を着て、古着をリメイクしたサルエルパンツを履く。

羽織には自分でデニムを組み合わせた。

それは、おしゃれを目指したというより、生活が選んだ服だった。


だから髪型も同じなのだと思う。

若い頃のように誰かを真似するのではなく、今の生活に似合う形を探している。

白髪が増えてもいい。

長い髪を結んでもいい。

ターコイズの根付や髪留めを合わせながら、自分の時間を少しずつ積み重ねていく。

それが、今の私にとっての髪型なのだ。


勇次郎ヘアを真似して笑っていた頃から、ずいぶん時間が経った。

髪は変わった。

服も変わった。

憧れる人も変わった。

けれど、何かに憧れ、自分らしい形を探し続けることだけは、あの頃から何も変わっていない。

だから今日も鏡を見ながら思う。

「さて、次はどんな自分になろうか。」


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髪型ひとつにも、その時々の憧れや生き方が映し出されるものです。

若い頃は「強さ」に惹かれ、歳を重ねると「渋さ」や「人間味」に目が向くようになる──。

では、私たちはなぜ、特定の人物や作品にこれほどまで惹かれてしまうのでしょうか。

次は、そんな「憧れ」が生まれる理由を、もう少し掘り下げてみたいと思います。

人はなぜ誰かに憧れるのか──強さの先に見えてくるもの

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勇次郎の髪型をきっかけに振り返ってみると、私が惹かれていたのは髪型そのものではなく、その人物がまとっていた空気だったのかもしれません。

最近、何気なく見返している『鬼平犯科帳』でも、物語以上に目を奪われるものがあります。

着物の色、光の使い方、そして歳を重ねた人だからこそ醸し出せる佇まい──。

次は、そんな「時代劇が色褪せない理由」について綴ってみようと思います。

『鬼平犯科帳』が何十年経っても色褪せない理由──私が物語より先に「人」を見てしまうわけ

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