最近、髪型について考える時間が増えた。
きっかけはAGAだった。
若い頃には気にも留めなかった髪の細さや白髪が、今では鏡を見るたびに目に入る。
だからといって、若い頃の自分に戻りたいわけではない。
むしろ最近は、「年齢を重ねたからこそ似合う髪型とは何だろう」と考えることが多くなった。
そう考えていると、ふと思い出す。
昔、私はストローを使ってパーマをかけ、範馬勇次郎の髪型を真似したことがあった。
完成した姿は、勇次郎というよりB&Bの洋八さん。
あるいはクリスタル・キングの高音担当。
そんな出来映えだったが、不思議と楽しかった。
あの頃は、「強そうな男」に憧れていたのだと思う。
ところが、今『バキ』を読み返すと、目が留まるのは現在の勇次郎ではない。
初期の勇次郎である。
まだ人間らしい表情が残り、髪も自然な天然パーマのようだった頃。
怪物になる前の勇次郎には、どこか静かな空気が流れていた。
今の私は、その静けさに惹かれている。
考えてみると、憧れる人物も変わった。
若い頃は三船敏郎さんや三國連太郎さん、中村吉右衛門さんの姿を追いかけていた。
今はそこに、山路和弘さんや片岡鶴太郎さんのように、白髪を自然に生かす人たちが加わっている。
『鬼平犯科帳』を見ても、以前なら物語ばかり追っていた。
しかし最近は、着物の色、光の入り方、人物の立ち姿ばかり見てしまう。
年齢を重ねると、同じ作品でも見える景色が変わるらしい。
服装もそうだ。
流行を追うことは少なくなった。
半分会社員、半分自営業という生活では、動きやすさが何より大切になる。
作務衣を着て、古着をリメイクしたサルエルパンツを履く。
羽織には自分でデニムを組み合わせた。
それは、おしゃれを目指したというより、生活が選んだ服だった。
だから髪型も同じなのだと思う。
若い頃のように誰かを真似するのではなく、今の生活に似合う形を探している。
白髪が増えてもいい。
長い髪を結んでもいい。
ターコイズの根付や髪留めを合わせながら、自分の時間を少しずつ積み重ねていく。
それが、今の私にとっての髪型なのだ。
勇次郎ヘアを真似して笑っていた頃から、ずいぶん時間が経った。
髪は変わった。
服も変わった。
憧れる人も変わった。
けれど、何かに憧れ、自分らしい形を探し続けることだけは、あの頃から何も変わっていない。
だから今日も鏡を見ながら思う。
「さて、次はどんな自分になろうか。」
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髪型ひとつにも、その時々の憧れや生き方が映し出されるものです。
若い頃は「強さ」に惹かれ、歳を重ねると「渋さ」や「人間味」に目が向くようになる──。
では、私たちはなぜ、特定の人物や作品にこれほどまで惹かれてしまうのでしょうか。
次は、そんな「憧れ」が生まれる理由を、もう少し掘り下げてみたいと思います。
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勇次郎の髪型をきっかけに振り返ってみると、私が惹かれていたのは髪型そのものではなく、その人物がまとっていた空気だったのかもしれません。
最近、何気なく見返している『鬼平犯科帳』でも、物語以上に目を奪われるものがあります。
着物の色、光の使い方、そして歳を重ねた人だからこそ醸し出せる佇まい──。
次は、そんな「時代劇が色褪せない理由」について綴ってみようと思います。



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