掃除機の音が聞こえると、なぜか二階へ逃げたくなる

人の記憶

外出先のスーパーで、店員さんがカーペットを掃除している姿を見かけた。

何気なく眺めていたのだが、掃除機の音を聞いているうちに、ふと我が家の掃除事情を思い出した。

我が家では、猫がやって来る以前から、掃除機を使う機会がほとんどなくなっている。

もともと家にあったのは、昔ながらのコード式掃除機だった。コンセントを差し、コードを引っ張り出し、掃除が終われば片付ける。今となっては珍しくもない作業だが、私にはどうにも面倒だった。

そこで登場したのが、100円均一の店で見つけた片手で使える小さなホウキである。

ミニチュア版とでも呼びたくなるような代物だが、これが思いのほか便利だった。

気になるところがあれば、さっと手に取って掃く。それだけで済む。

掃除機を出すほどでもない場所なら、これで十分。そうして使い続けているうちに、いつの間にか掃除機の存在そのものを忘れてしまった。

人間というものは不思議なものである。便利な道具を買い足すことで暮らしが変わることもあれば、安価な道具ひとつで、これまで使っていた道具の存在を忘れてしまうこともある。

やがて我が家に猫がやって来た。

猫を飼うようになると、当然ながら毛の束が目につくようになる。掃除の手間が増えたといえば増えたのだが、だからといって掃除機を引っ張り出す気にはならない。

気がついたところを、小さなホウキでこまめに掃く。

この程度の作業なら、さほど煩わしさも感じない。猫の毛と付き合う生活にも、それなりの流儀ができあがってしまったらしい。

ところが、ひとつ問題がある。

親父がやって来ると、掃除の作法が変わるのだ。

掃除機を持ち出し、さらに手ホウキまで使う。いわば掃除機と手ホウキのハイブリッド方式である。

こちらが小さなホウキ一本で済ませているところへ、本格的な掃除が始まるわけだ。

そうなると、私は二階へ避難する。

掃除に対する考え方の違いなのか、単に掃除機の音が苦手なのか。どちらにしても、我が家では掃除機が動き始めると、住人の一部が居場所を変えるという現象が起こるのである。

テレビを眺めていると、最近はコードレスで軽く、しかも吸引力の強い掃除機が次々と紹介されている。

技術の進歩というものはありがたい。コードに縛られず、手軽に家中を掃除できるのなら、それに越したことはないのだろう。

しかし、今日スーパーで店員さんが使っていた掃除機の音を聞いていると、妙な感覚が残った。

やはり掃除機は掃除機なんだよな、と。

どれほど軽くなろうが、コードがなくなろうが、吸引力が強くなろうが、あの音を聞けば掃除機を思い出す。

もちろん、最新型を使ったこともないのだから、実際の使い勝手について語れるわけではない。

ただ、我が家では小さなホウキがすっかり定着してしまった。猫の毛を掃き、気になった場所を片付ける。それで日常が回っているのだから、今さら掃除機のある生活に戻る必要も感じていない。

世の中では、より便利な道具が次々と生み出されている。

それでも、人間の暮らしというものは、必ずしも最新の道具に合わせて更新されるわけではないらしい。

我が家の場合、掃除機はまだ現役なのかもしれない。

ただし、私が使うためではなく、親父がやって来たときに、その存在感を存分に発揮するために。

そして、その音が聞こえてきたら、私は今日も二階へ避難するのである。


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