さとのか4Kで『特急あずさ出発進行!尾道ベッチャー祭り』を流し見していた。
毎年11月1日から3日にかけて行われるというこの祭りは、江戸時代後期、疫病を克服するために行われた神事が発祥とされているらしい。
ベタ、ソバ、ショーキという三人の鬼が登場し、地元の子供から大人までを手にした棒で叩いて回る。もちろん、これは無病息災を願うためのものだ。
普通に考えれば、見知らぬ鬼に棒で叩かれるなど、あまり歓迎したくない出来事である。しかし、祭りの中では厄払いとなり、ありがたい行為へと意味が変わる。
人間とは不思議なもので、普段なら警察に通報しかねない行為でも、伝統行事という看板が掲げられると、ありがたい儀式として受け入れられるらしい。
さて、番組を眺めていて気になったのは、鬼たちの姿だった。
鬼といえば、角が生え、牙をむき、恐ろしい形相で人間を脅かす存在を想像する。しかし、ベッチャー祭りの鬼には角のない者もいる。
なかでもショーキという白い鬼は、面を半分だけ被ったような姿で、人間の顔が露出していた。
その姿を見て、なぜか昔の特撮番組『忍者キャプター』を思い出した。
忍者のシールドが顔を覆っている間は、なかなか格好いい。ところが、それを跳ね上げた途端、そこには生身の人間が現れる。
先ほどまで神秘的だった忍者が、急に撮影現場のおじさんへと戻ってしまう。
子供心にも、この落差がどうにも苦手だった。
もちろん、演じている役者さんに罪はない。暑苦しい衣装を身に着け、ヒーローや怪人を演じるのも立派な仕事である。
ただ、こちらが見たかったのは、役者さんの日常ではなく、仮面の向こう側にいる得体の知れない存在だったのだ。
仮面を外すと悲鳴が上がる
そんなことを考えていたら、今度は新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーさんの話を思い出した。
番組のトークで、マスクを着けていると「キャー」という歓声が上がるのに、マスクを外すと「ギャーッ」という悲鳴に変わる、といった趣旨の話をしていた。
実にうまい冗談である。
マスクを着けたライガーは、獣神という名にふさわしい、正体不明の超人的なレスラーだ。
しかし、マスクを外せば、そこには一人の人間がいる。
観客はマスクの下に、勝手なイメージを作り上げている。素顔もきっと格好いいのだろう、あるいは人間離れした何かが隠れているのだろうと。
ところが、現実はそう都合よくできていない。
マスクの下にいるのは、特別な生き物ではなく、日々を生きている人間なのである。
もっとも、ライガーさんの場合は、若手時代からベテランになるまでの変化を知ると、話はさらに面白くなる。
ヤングライオン時代はマスクを着けず、スリムな体格でリングに立っていた。それが長い年月を経て、髪や体型にも変化が現れ、ベテランの風格を備えていく。
人間なのだから、当然のことである。
しかし、リング上の獣神サンダー・ライガーは、マスクを着けることで、一人の男性であると同時に、長年観客を魅了してきたキャラクターでもあり続けた。
マスクは顔を隠すだけではない。
そこには、観客が抱くイメージを保ち続ける働きもあるのだろう。
仮面は時間まで覆い隠す
考えてみれば、仮面というものは不思議な道具だ。
顔を覆えば、正体が分からなくなる。
正体が分からなくなると、人間はそこに想像を付け足す。
恐ろしい鬼、神秘的な忍者、超人的なプロレスラー。
覆われた顔の向こう側に、見る者それぞれの理想が生まれる。
そして、その仮面が外された瞬間、想像していた世界と現実の人間との間に、妙な隙間ができてしまう。
尾道のベッチャー祭りに登場する鬼も、地域の人々にとっては親しみ深い存在なのだろう。
しかし、こちらがテレビ越しに怪異や神秘を期待して眺めていると、面の隙間から見える人間の顔が、どうにも気になってしまう。
鬼の正体を知りたいわけではない。むしろ、鬼のままでいてほしいのである。
『忍者キャプター』のシールドも同じだ。
跳ね上げる前までは格好いい。ところが、その先にいるのが普通の人間だと分かった途端、こちらの想像力が勝手にしぼんでしまう。
なんとも身勝手な観客である。
正体を隠されれば暴きたくなるくせに、暴いてしまえば夢が壊れたと嘆く。
しかも、自分が勝手に作り上げた理想像と現実が違っていたからといって、相手に責任があるわけでもない。
仮面を被った側は、ただそこに立っていただけなのだ。
ヒーローは年を取らないことになっている
もう一つ面白いのは、仮面が時間の流れまで覆い隠しているように見えることだ。
若い頃のレスラーも、ベテランになったレスラーも、同じマスクを着ければ、同じキャラクターとしてリングに立つことができる。
もちろん、肉体の変化まで隠せるわけではない。動きにも体つきにも、年月は現れる。
それでも、顔が覆われているだけで、観客の意識は生身の人間よりも、キャラクターのほうへ向かいやすくなる。
ヒーローには、いつまでもヒーローでいてほしい。
怪人には、いつまでも怪人でいてほしい。
マスクの下で髪が薄くなろうが、腹回りに丸みが出ようが、そんなことは物語の外側に置いておきたい。
しかし、現実の人間は年を取る。
リングの上で戦い続けるレスラーも、かつてテレビにかじりついていた子供も、同じように年月を重ねていく。
画面の向こう側のヒーローは、マスクを着けたまま歳月を過ごす。
一方、こちらは缶コーヒー片手にテレビを眺めながら、いつの間にか自分もベテラン世代に足を踏み入れている。
どうやら、時間の流れを完全に隠せる仮面は存在しないらしい。
仮面を外したヒーローの顔に驚いていたはずが、気づけば自分の顔にも、それなりの年月が刻まれている。
これは少々、笑えない話である。
仮面の下には夢がある。
外せば人間がいる。
そして、その人間は、こちらが思っている以上に長い時間を生きてきたのかもしれない。
……もっとも、ベッチャー祭りの鬼にまで素顔の格好よさを期待するのは、さすがにこちらの勝手というものだろう。
鬼にまで夢を要求するのだから、人間というのは本当に面倒な生き物である。


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